「この物件ですと、厨房設備を作るには800万円かかりますね」
厨房機器メーカーの営業マンは、事務的な口調でそう言い放ちました。
8年前、「世界食道」を開店すべく、スケルトン状態の物件を契約し、厨房に改造する工事費の見積りを依頼したときのこと。
工事費の試算もせずに不動産の賃貸借契約を結んだ自分の愚かさを責めながら、「さて、どうしようか」と思案したとき、思い浮かんだのが、内装職人の友人・ダイゴさんの存在。
「彼の力を借りて、自分たちで工事してみるか」
そう決意してダイゴさんを呼んだものの、工事の段取りもわからず、解体が必要な壁の前で立ちすくむ私。
「この壁の中はどうなっているんだろう」
思案する私の目の前で、「壊してみれば、わかるさ」と、ダイゴさんが壁に打ち込んだハンマーの一撃。
それが「世界食道」のスタートになりました。
トイレの壁を付け替え、クッションフロアを張り、カウンターを据え付け、棚を天井裏から吊るすなど、八面六臂の活躍を頂いたダイゴさん。
ガス水道・電気工事は専門業者に依頼し、製氷機・シンク・ガステーブル・コールドテーブルを新品で導入したにもかかわらず、費用は150万円で収まりました。
完成した厨房で、ダイゴさんと乾杯したビールの味は忘れられません。
東京で仕事をしていたダイゴさんですが、景気悪化により受注が減少、スノーボードで縁ある長野県に活路を求めてきました。
サラリーマンを退職直後で、将来の見通しも立たない私とたまたま巡り合い、二人で未来のビジョンを途方もなく語り合ったものです。
プロキックボクサーの資格を持つダイゴさんは、総合格闘技道場のオープンを夢見ていました。
「そんなの無理でしょ」
内心、私は思っていましたが、彼は本当に物件を契約し、古畳を運び入れ、看板を掲げ、ジムをオープンしてしまったのです。
とはいえ、ビジネスとして定着するには時間がかかります。昼間は医療機器の洗浄業務で生活費を稼ぎ、夕方からジムを開業、多角経営を目指して整体師の資格まで取得したダイゴさん。
この時期は彼にとって相当きつかったようで、「この年になって独り身で、なんで派遣の仕事しているんだろう」と、ぼやいていたものです。
しかし、そんな彼の行動力が、私のモチベーションになったことは間違いありません。
彼に負けじと、飲食店経営を目指した私は、彼に工事を依頼し、開店にこぎつけました。
そして、まるで私のオープンを見届けるかのように、ほどなく彼は素敵な女性と出会い、結婚して長野県を離れて行きました。
彼がオープンした長野市初の総合格闘技道場は、練習生の一人が彼の意志を継ぎ、女性から年配者まで幅広い層を受け入れつつ、順調に経営されています。
そんなダイゴさんが、久しぶりに長野に帰って来ました。
新たに「世界食堂」をオープンした直後の私は、店の内装に手を入れたい箇所について、何かと彼に相談しました。
「壁をぶち抜いて、窓を付けたいのだけど」と私。
答えてダイゴさん。「南側の壁なのに窓がないのは、壁で屋根を支えているとか、構造的な理由があるかもしれない。簡単に開口部を開けようと考えない方がいいかも」
「テレビを壁に設置しようと思うのだけど、ボードアンカーで取り付けできるよね。エアコンだって壁に装着できるって、どこかの業者が言ってたし」
「そんなことしたら、壁ごと崩れるよ。塗装業者が外壁のエアコンにつかまったら、外壁ごとすっぽ抜けた事故もあるし。
ボードアンカーで機器を支えることは出来るかもしれないけれど、予想外の力が加わることがあるから、下地をきちんと作ってから、取り付けた方がいいよ」
なるほど、経験に裏打ちされた職人の言葉は重みがあります。
いつかまた、一緒に工事する機会があれば楽しいだろうな。