長野圏域の新規コロナ患者が10万人当たり23人となり、前週比1.7倍と急増した8月18日、警戒レベルが5に引き上げられ「特別警報Ⅱ」が発出。
8月19日(木)~8月29日(日)の営業時間短縮要請が、県からありました。(その後、9月12日まで延長)
「世界食道」時代からの常連様から予約を頂戴していたので、キャンセル覚悟で「20時で閉店します」と伝えたところ、「世界食堂の再スタートなのだから、短時間でも伺うよ」とのご返事。
本日、予定通りご来店頂き、私自身、懐かしい方々と再会できました。
お客様が帰られ、灯りを落とした店内で一人、充実感をかみしめていると、数年前の思い出が頭をよぎりました。
あれはいつのことだったか…。
…その日、僕は上田市菅平のホテルに向かって、車を走らせていた。
助手席に、初老の男性を乗せて。
キッチンスタッフとして勤務することになった彼を、ホテルへ送り届けるために。
1か月ほど前、彼はふらりと「世界食道」にやった来た。
1杯のコーヒーをチビチビなめるように飲みながら、午前中の時間をつぶしていた。話し相手が欲しかったのだろう。
閑古鳥が鳴いて、カウンターの中で所在なさげにしている僕は、彼にとって格好のパートナーだったというわけだ。
しばしば彼は来店し、ポツリポツリと身の上話をするようになった。
本場イタリアでの修行を経て、埼玉県でイタリアンレストランを経営していたという。
そんな彼はある日、切り身魚と「道端に生えていた」というバジルを持ってくるなり、「厨房見せてみな」と言ってズカズカと入り込むと、ありあわせの材料で手際よく、みるみるうちに数点の料理を作り上げた。
宴会料理の組み立てに頭を悩ましていた僕にとって、シンプルな調理でありながら、メリハリの効いた盛り付けで華やかさを演出する彼のメニューは、天啓に近いアドバイスだった。
以来、僕は彼を、言葉の上では半ば茶化しながら、「師匠、師匠」と呼んでおどけていたのだが、気持ちの中では真剣に、「彼の一言一句を逃すまい」と、神経を研ぎ澄ましていた。
彼の調理を見ながら書き留めた「イタリアン前菜5品」は、僕のバイブルとなった。
⇩もう一品を追加
⇩バルサミコ酢のおすすめブランド
レストランをオープンした彼ではあったが、毎月30万円の家賃に加え、新築した自宅ローンの負担に耐えかね、自己破産。
奥さんは子どもを連れて、彼の元を去ったとのこと。
「飲食店を開業したことが、俺の人生を狂わせた」と、彼は自嘲気味に笑いながら話していた。
新天地を長野市に求め、旅館の板長として勤めていたものの、自身のタバコの不始末から火事を出し、旅館をかなり損壊させてしまったらしい。
そのとき、子どものために貯めていた100万円も、灰と化したという。
追い打ちをかけるように、膀胱がんが発見され、現在治療中。
それでも「手に職があれば、仕事はすぐ見つかるよ」と、明るく笑うのだが、その口元の前歯は欠けている。
火事を起こす前、旅館から借りた自動車を運転中に、衝突事故を起こしたらしい。
どうしてこうも不運が続くのか。
電信柱にぶつかってゴツン、そのはずみで向かいの壁にゴツン、ヨロヨロ道の真ん中に戻ったら、走って来た車にゴツン。
たんこぶだらけになりながらフラフラ歩いている、そんな漫画みたいなキャラクターを、私は頭の中で描いていた。
ほどなく彼は、自身の言葉どおり職を見つけ、菅平のホテルに住み込みで働くことになった。
別れに際し、僕は彼に何か報いたいと思った。
そしてその日、僕は菅平のホテルに向けて、ハンドルを握っていた。車を持たない彼を、助手席に乗せて。
僕にとってのイタリアンの神様は、空の高みから優雅に舞い降りて来たわけではない。
反吐を吐きつつ、地べたをのたうち回っているうち、同じように這いつくばってもがいている僕と、たまたま衝突したようなものなのかもしれない。
「ありがとう師匠、お元気で」
車を降りてパタンとドアを閉めると、振り返ることなくホテルに向かう彼の背中に、僕は一礼した。
そう、あれは確か2016年6月13日のこと、梅雨入り間もない季節らしく、低く雲がたれこめた日曜の午後だった。
彼は、どこでどうしているかな。
包丁のリズムに合わせて奏でていた、彼の鼻歌が聞こえてくるようだ。
今日の僕の宴会料理を見たら、何て言うだろう。
海鮮カルパッチョと夏野菜のプロシュートロール、ブルーチーズを添えて
トムヤムクン、ガーリックトースト添え
カラスカレイの香草焼きとローストビーフ、オレンジソースの台座で
トマトスパゲティ、夏野菜の揚げびたしを乗せて
有機無農薬の自家製フルーツをあしらったタルト
「有機無農薬の自家製」といっても、ほったらかしのメロン・スイカが、勝手に実をつけてくれただけのことですが…。
これらの料理を師匠が見たら「パクリやがって、この野郎」と言われそう。
「パクリじゃないです師匠、オマージュですよ」