• Home
  • /
  • /
  • ワルシャワ旧市街を市内観光

ワルシャワ旧市街を市内観光

まだ薄暗い朝6時、「Garden Billa」を出て市内中心部の「ワジェンキ公園」に向けて歩き出す。15分ほどで到着した公園は、清冽な空気をまとった木々の間を歩道が縫う、気持ちの良い空間だ。ショパン像の前で記念撮影をして、旧市街をめざす。

ショパン像

「文化科学宮殿」のひときわ高い姿が遠くに見える旧市街は、歩くにはやや距離があるのでバスで向かうことに。停留所でバスを待っていると、現地の男性が気さくに話しかけてきた。言葉はわからないが、どうやら旧市街までバスで連れて行ってくれるようだ。

篠さんは「連帯のワレサ書記長に似ているな」と言いながら彼の後に従うが、以降、ポーランドで出会う人のほとんどが、篠さんにはワレサ書記長に見えたらしい。

ワレサ書記長?と

イェロゾリムスキェ通りと交わる地点でバスを降り、ポーランド人男性と握手を交して別れる。「新世界通り」から「クラクフ通り」を経て「旧市街広場」に至る道筋には、コペルニクス像・ワルシャワ大学・大統領官邸・国立オペラ劇場など、見どころが次々と姿を現してくる。
辿り着いた旧市街広場の中央には、剣を振り上げている人魚像が建てられており、これはワルシャワの古い伝説に由来するそうだ。
その昔、ヴィスワ川で魚を捕っていた漁師の網にある日、人魚がかかる。人魚を川に帰してあげたところ、魚がよく売れるようになって、漁師は裕福になったという。この漁師夫婦の名前が「ワルス」と「サワ」で、これがワルシャワの始まりだということだ。

ちなみに、ワルシャワの英名はWarsaw、ワルサー[ˈwɔːrsɔː] と発音する。

由緒ある像が鎮座する、ワルシャワのヘソともいうべき旧市街広場なのだが、人通りはまばらで、ものわびしい。しかも時計台の針が1時間遅れているというお粗末さだ。

人影まばらな中央広場

 

「ワルシャワ蜂起記念碑」を巡った後、「文化科学宮殿」まで足を伸ばし、展望台に登るためエレベーターに乗り込む。すると、ここの時計も一時間遅れているではないか。

乗り合わせた現地の人によくよく聞いてみると、今朝がサマータイムの終了日ということらしい。ガイドブックを開くと、10月最終週の日曜午前2時に、時計の針を一時間戻すと確かに書いてある。朝6時に出発したつもりが、実は5時だったわけだ。どうりで広場も人影がまばらだったわけだ。
年に一度の、こんな出来事に遭遇することもある。もしこれが初夏の、サマータイムに切り替わる日であったなら、時間通りに到着したつもりが一時間遅れだった、という事態になりかねない。貴重な教訓を得た出来事ではあった。

文化科学宮殿から見下ろすワルシャワの街

ポーランド名物「ピエロギ」を食べるため昼近く、再び広場に戻った時には、さきほどの閑散さが嘘のように賑わっていた。
「ピエロギ」はポーランドの餃子ともいうべきもので、中国の餃子がロシアを経由して伝わったといわれる。
「肉・チーズ・鮭やマッシュルームからチョコレートまで、バラエティに富んだ具をお楽しみください」という宣伝文句に気持ちをくすぐられ、ピエロギ専門店「ウ・ホプフェラ」をめざす。しかし、ガイドブックの地図どおりに歩くのだが見つからない。目についた衣料品店に飛び込んで尋ねると、「住所は何番地?」と問われる。海外の多くの街がそうであるように、ワルシャワでもすべての通りに名前があり、規則正しく番地がふられている。広場を背に立つと「クラクフ郊外通り」の右側に奇数番地、左側に偶数番地の家が並び、広場から遠ざかるほどに番地が小さくなっていく。
なるほど、教えられたとおりに進むと、道路右側の家の番地が一つ飛ばしに小さくなっていき、めざす店は近いようだ。ところが、店があるべき地番の建物は窓に木戸が打ち付けられ、空き家になっていた。どうやら店を閉じてしまったようだ。日本の毒入り餃子事件の余波がここまできているのだろうか。

この記事をSNSでシェア!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

Back to Top