04:20 アルメニアの首都・エレバンに到着。
アルメニア大使館が日本にないため、ビザは入国時に申請することになります。アルメニアにも日本大使館はありません。
ビザの手続きは難なく完了。3.5 × 4.5cm の顔写真1枚が必要です。
(2017年9月から、日本国籍保持者は年間180日までの滞在に限り、ビザが不要となっています)
まだ時刻が早いので、空港内でアルメニアについて勉強しながら時間調整をします。
アルメニア共和国は、アゼルバイジャン、ジョージアとともに、旧ソ連から独立した3つの共和国「コーカサス三国」の1つです。人口は2012年現在310万人 ( 2017年は293万人に減少)、面積は29,800k㎡ (九州より少し小さい) の国です。通貨はドラム (1Dr=0.2円)、使用言語はアルメニア語ですが、ロシア語も広く使われます。
内陸国のアルメニアは、西から時計回りにトルコ、ジョージア、アゼルバイジャン、イランに囲まれています。トルコ、アゼルバイジャンとは非常に仲が悪く、国交もありません。かつてはトルコと繋ぐ国際列車がありましたが、現在は走っていません。
メソポタミア文明発祥の地であるアルメニア高原に位置し、首都・エレバンは紀元前782年に建てられた世界最古の都市の1つであり、旧約聖書の「創世記」に登場する地上の楽園「エデンの園」が存在した街という言い伝えもあります。
小さな国なのですが、ユーラシア大陸の東西を結ぶ要衝に位置していることから、古来から紛争に巻き込まれてきました。他国の干渉や支配が続いたことから、民族としての誇りが強く、世界中に多くの移民を持つ国でもあります。
アルメニアの有名人は「剣の舞」の作曲家・ハチャトリアンなど。苗字の最後にヤンが付く人が多いのかな。マダム・ヤンは台湾人でしたが…。
08:30 マルシュルートカ (小型バス) 108番に乗車。空港の外はガランとした空き地で、案内標識もないため、乗り場を探すのに苦労しました。
09:20 エレヴァン駅などを経由して、終点「アボヴィアン通り」に到着。
停留所に停まるたび次々と乗客が乗り込んできて、マルシュルートカの狭い車内はスシ詰め状態。安定したポジションを保つため、乗客は身をよじり、車内ヨガの様相を呈してきます。
空港から市街地まで12kmですが、50分かかりました。運賃は200Dr (40円)。
本日の宿「Penthouse Hostel」1泊 5,000 Dr (1,000円) 朝食込み。 「アボヴィアン通り」から路地を入った所にありますが、案内標識はなく、分かりづらいです。
アルメニアは美人が多く、美人率世界一とも言われます。
旧ソ連、モンゴル、トルコ、ギリシャなど多くの人種の血が混ざり合っているためでしょうか。
また、歴史経緯や宗教等の環境により、「我慢強いものの、自分の意見はしっかり相手に伝えられる」性格を持ち、「内面の美人」も多いといわれます。
アルメニア人の男性は、各国に移民をしているユダヤ人同様に、論理的思考をする人が多く、商才に長けているといわれます。そのため、ためらうことなく口喧嘩をするそうです。気性が激しいというよりも、喧嘩をすることは悪くない、お互いの意見を言い合うことは大切だと認識しているようです。
喧嘩にためらいのないアルメニア人男性ではありますが、仲直りをしたら、男女問わず、スキンシップは欠かしません。コミュニケーション能力にも長けていようです。
お腹も空いたので町に出て、伝統料理を楽しみます。
アルメニアはブランデーの名産地。ヤルタ会談の際、チャーチルがスターリンから勧められた「ドゥヴィン」というアルメニアブランデーに深く感銘を受け、生涯愛飲したといいます。
辛味の効いた米、タマネギ、挽肉、香味野菜の混ぜものを、ブドウの葉で包んだ料理「ドルマ」。
その名前は、トルコ語で「詰める」を意味する動詞「dolmak」の受動態「詰められた」に由来します。
オスマン朝トルコ時代、ドルマはヨーロッパに伝わり、キャベツの葉で包んだものが「ロールキャベツ」になったそうです。
ホステルのベランダで、夕映えのアララト山を望みながら、スーパーで買ったサラダとご飯で夕食。
アララト山は、トルコ共和国の東端にある標高5,137mの山で、旧約聖書にでてくるノアの箱舟が大洪水の後、流れ着いたとされます。
左側に見える少し低い山は、「小アララト (3,925m) と呼ばれます。