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中東とアジアが混沌とするジョージアで、ピロスマニの絵画を愛でる。

昨夜、グルジアワインのフルボトルを一人で空にしたのですが、時間をかけて飲んだのが良かったのか、ワインの質が高かったのか、スッキリと目覚めて宿を出ることができました。

「Envoy Hostel」の朝食

明日、ブリュッセル行きの飛行機が 07:15 発と早いので、今夜のうちに空港に移動して、空港内で夜を明かすつもりです。夜までゆっくり、「自由広場」から「ルスタヴェリ大通り」を散策し、通り沿いにある「ナショナル・ギャラリー」で絵画を観ることにしました。途中、グルジア料理を楽しみながら。

「ナショナル・ギャラリー」はグルジア出身の画家、ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani ) の作品を中心に展示してあります。


ピロスマニは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した画家で、プリミティヴィスム(原始主義)あるいは素朴派(ナイーブ・アート)に分類され、その絵の多くは、荒野にたたずむ動物たちや食卓を囲むグルジアの人々を描いたものです。


グルジアを流浪しながら絵を描いてその日暮らしを続け、一旦はロシア美術界から注目されましたが、そのプリミティヴな画風ゆえに幼稚な絵だという非難を浴びてしまいます。
失意の彼は1918年、貧困のうちに死去しましたが、死後グルジアでは国民的画家として愛されるようになり、1ラリ紙幣に肖像が使用されています。


1894年、彼の町を訪れたフランス人女優・マルガリータを愛するようになった彼は、その愛を示すため、彼女の泊まるホテル前の広場を花で埋め尽くしたといいます。
やがて、放浪の旅にでたピロスマニは15年後に「女優マルガリータ」を描きました。このエピソードはアンドレイ・ヴォズネセンスキーの詩によって有名になり、後に日本でも「百万本のバラ」の歌としてヒットすることになります。

写真の作品は、ピロスマニ以外の画家のものを含みます。

 

 

美術館を出て、ランチとします。そのまま食べ歩いて夕食に突入です。

ユーラシア大陸の東西をつなぐ貿易路の中継点であったため、グルジア料理は、中東やヨーロッパ、西アジアの影響も見られ、豊富なアイデアや香辛料を活かした、バラエティー豊かなものです。

(左) 本場のハチャプリ   (右) 一年後の「世界食道」メニュー

グルジアのピザ「ハチャプリ」。

「ხაჭა」(ハチャ)はチーズ、「პური」(プリ)はパンの意味。

その後、自分の店で看板メニューの一つになろうとは、この時は夢にも思いませんでした。

 

(左) 水餃子「ヒンカリ」 香草が効いてます。餃子というよりは小籠包に近く、肉汁がたっぷり入っているのでなかなか全てこぼさずに食べるのは至難の技。「ジーラ」と呼ばれる香辛料のクミンで肉に味付けしているのが特徴です。
(右) 鶏肉をにんにくとミルクのソースで煮込んだ「シュクメルリ」に、キノコ、チーズがけ。

 

暮れなずむ町に灯りがともる。1泊だけなのに、この不思議な懐かしさは何だろう。
川と坂の街・トリビシ。

お腹がパンパンになったところで、グルジアでの滞在もタイムアップです。市街地から西に18kmの空港に向け、マルシュルートカに乗車します。
車内はけっこう混んでいたため、車内フロアから一段下がった、ドア付近のステップに立っていたところ、次の停留所でドアが開いた時に足を挟まれてしまいました。
とっさに足を引き抜こうとしたのですが、結構な力で挟まれているため抜くことができず、ドアが閉まるまでそのまま固まっていました。
トレッキングシューズを履いていて良かった。
「髪型をリーゼントにして電車に乗ったら、髪の先端をドアに挟まれ身動きが出来なくなった」という、武田鉄矢のエピソードを思い出しました。(「次の駅までの辛抱だ、と思っていたら、次の駅から反対側のドアが開閉するようになった」という、二重のオチがついていました。)

マルシュルートカ#37 国立美術館前バス停 23:10→23:50空港

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