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パリの象徴・エッフェル塔は高かったが、食らった罰金も高かった

今日はブリュッセルを後に、電車でパリに向かいます。電車の料金は一定ではなく、時間帯によって変わるようで、12:37, 13:13発の列車は15,200円ですが、14:37発は21,600円に跳ね上がります。

列車内。テーブルに取り付けられたバーが、ペットボトルの転倒防止に。小さなアイディア、大きな効果。

13:13 ブリュッセル南駅 (フランス語で Brussel-Midi、オランダ語で Brussel-Zuid) 発。
14:35 パリ北駅 (Paris-Nord) 着。

 

 

パリのシンボル的な存在、エッフェル塔に向かいます。1889年3月の竣工時の高さは312.3mで(現在は放送用アンテナが設置されたため324m)、1930年、ニューヨークにクライスラー・ビルディングが完成するまでは世界一高い建造物でした。

その名は、塔の設計および建設者であるギュスターヴ・エッフェルに由来します。
19世紀後半、産業革命による工業力の進歩により先進各国において相次いで高層建築が建設され、国家の威信をかけて高さ競争が繰り広げられていました。

1647年から200年以上にわたって世界でもっとも高い建築物は、フランス・ストラスブールのストラスブール大聖堂(142m)でしたが、1874年にはドイツ帝国・ハンブルクの聖ニコライ教会 (147m) がそれにとってかわり、さらにフランス・ルーアンのルーアン大聖堂 (151m) 、ドイツ・ケルンのケルン大聖堂が (157m) 次々と完成しました。

ここまでの高さ競争はすべて教会の尖塔でしたが、1884年にはアメリカにワシントン記念塔 (169m) が完成します。しかし、いずれの建造物も高さは140mから160m台でした。
1889年のフランス革命100周年を記念して、パリで第4回万国博覧会が開催されることが決定されると、高さ300mの鉄の塔を建てて万博のシンボルとする案が浮上しました。

こうして計画されたエッフェル塔は、熟練作業員による少数精鋭主義で建設が進められ、2年2か月という驚異的な速さで完成しました。

1900年に再度パリで万国博覧会が開催されると、エッフェル塔はふたたび万博のパビリオンとして多くの観光客を集めましたが、その後の入場者数は低迷を続けます。塔の権利がエッフェルの会社からパリ市に移る1909年には、解体されることが確実視されていましたが、軍事用の無線電波を塔で送受信することになり、国防上重要な建築物ということで、取り壊しを免れました。

1940年にパリがナチス・ドイツによって占領されると塔も閉鎖されましたが、1944年にパリが解放されたのちは入場を再開、2017年には通算来場者数が3億人を突破、エッフェル塔は世界でもっとも多くの人が訪れた有料建造物とされます。

一日平均25,000人が塔にのぼるため、入場待ちの行列が長くなる場合があります。

エッフェル塔は錬鉄で作られているため、防錆のための塗装が欠かせません。かつて赤褐色だった塗装の色は現在、エッフェルブラウンと呼ばれるブロンズ色へと変更され、パリの風景に溶け込みやすいように、塔の下部は明度の低い色、先端部は高い色と、3つの色調が使い分けられています。

ところで、エッフェル塔に向かうため地下鉄に乗ったのですが、回数券 (10枚で12.7€ = 1,340円) に刻印しないで乗車してしまったところ、下車駅で検札に遭いました。

もちろん、回数券を示して言い訳しても通用しません。45€ (4,748円) の罰金を食らってしまいました。
多くの乗客の中から怪しい輩を見分ける検札官の眼力と、罰金の支払いにクレジットカードが使えたことに感心。
それにしても、ブダペストでの教訓が、全然生かされていません。トホホ…。

宿泊は「リバテルガール ヂュノールスエード」4連泊の1日目、火曜日のお値段は21,075円

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