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モンパルナスと間違えずモンマルトルに行き、美食の街をカップ麺で締めくくる。

今日はモンマルトルに行く予定ですが、モンパルナスとの区別がつきません。きちんと調べてから出かけないと、「パリに行くつもりが、間違えてバリ島に行っちゃった」というような、仰天な結末になりかねません。

そこで、両者のおさらいを…。

モンマルトルの名は、” Mont des Martyrs(殉教者の丘)” に由来します。紀元272年頃、パリ最初のキリスト教司教、サン・ドニが、この丘で首をはねられて殉教したと伝えられます。

19世紀半ば、ヨハン・ヨンキントやカミーユ・ピサロといった芸術家たちが、パリ大改造で整備された市内を離れ、まだ絵になる農村風景の残っていたモンマルトルに居を移すようになります。

パブロ・ピカソ(1904年から1909年までの間)、アメデオ・モディリアーニ、ほか貧しい画家達が「洗濯船(Le Bateau-Lavoir)」と呼ばれる安アパートに住み、アトリエを構え制作活動を行ないました。

パリから独立した村だったため、パリの税金や規制が適用されず、また丘の上の修道女たちがワインを作っていたことで、モンマルトルは飲み屋街へと変遷していきます。

20世紀初頭、モンマルトルはデカダンな歓楽街となり、「ムーラン・ルージュ」や「ル・シャ・ノワール」といったキャバレーが軒を連ねるようになりました。
第一次世界大戦直前あたりからは急速に観光地化・高級住宅地化が進み、地価高騰と混雑を嫌った芸術家たちはモンパルナスに移っていきます。

エミール・ゾラ、エドゥアール・マネ、エドガー・ドガ、ガブリエル・フォーレら、モンマルトルに住むパリっ子の芸術家集団と、ピカソ、モディリアーニら移民の芸術家たちは、経済的にも社会的にも政治的にも対極にあり、こうしたことも、彼らがモンマルトルを去った理由の一つといわれます。

一方のモンパルナスは、ギリシア神話にあるパルナッソス山(文芸の女神たちが住み遊んだとされる山)から来たあだ名です。17世紀ごろ、丘の多いパリ南郊のこの地に学生たちが集まり、詩の朗読会をするなど遊び場としていたことから、この名がつきました。

モンパルナスは北隣の大学地区、カルチェ・ラタンに通う学生の下宿が点在する荒地で、家賃や物価はじめ、何もかもが安いさびれた郊外でした。ここに、世界中から集まった金のない画家、彫刻家、小説家、詩人、作曲家たちが芸術家のコミューンを作り上げます。

かつて、マルク・シャガール、モイーズ・キスリング、アンリ=ピエール・ロシェ、ディエゴ・リベラ、ヘンリー・ミラー、ジャン=ポール・サルトル、サルバドール・ダリ、藤田嗣治、岡本太郎らが住んでいました。

モンマルトルもモンパルナスも、ともに芸術家の街ということで、間違えて行ったとしても、さして問題はなさそうです (?)…。

 

モンマルトルの丘に立つ、高さ80m、ロマネスク・ビザンチン様式の「サクレ・クール寺院(聖心を意味する)」。普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンによって命を失ったフランス市民を讃える公共建造物として、1877年着工、1914年に完成しました。

寺院の前庭から見下ろすパリの街は、排気ガスのせいかドンヨリと霞んでいます。ひときわ高く目を引くドームは「アンヴァリッド」。 ルイ14世時代の1674年に建てられた旧軍病院に、教会が併設されていったもので、ナポレオンの墓があります。

フランス語の「アンヴァリッド(invalide)」は、動詞valoir(価値がある)と語源を同じくするvalide(法的に有効な、健康な)という形容詞に否定の接頭辞 inがついたもので、「法的に無効な」「(人が老齢、病気、ケガなどのため)働けない」ことを意味します。日本語では「廃兵院」と訳されていますが、この呼称はちょっとひどいですよね。

急な階段を下るとそこは、モンマルトルの下町。なだらかに上下する石畳の道といい、蔦かずらに覆われた古い家並みといい、多くのボヘミアンを惹きつけた古き良き時代の佇まいをとどめています。

映画「アメリ」のロケ地や、世界各国の愛の言葉で埋め尽くされた「愛の壁(LE MUR DES JE TAIME)」、ルセル・エイメの小説に出てくる「壁抜け男(Le Passe-muraille)」の像など、ユニークなスボットがいっぱい。今回は巡ることができませんでしたが、ゆっくりと散策してみたいものです。

ただし、夜になるとパリで一番治安が悪くなるといわれます。

12.5€のランチセットで昼食

下町のスーパーで、今宵の食事を買い込みました。

カップ麺は、フランス全国のスーパーで、焼き海苔・味噌汁・寿司キットなど、日本の食材を販売展開するブランド「TANOSHI」 (2008年誕生) の商品。黒を基調としたパッケージ・デザインを一貫して採用しているそうですが、醬油か、はたまた忍者のイメージなのでしょうか。あまり食欲をそそる色とも思えないのですが。

「Desperados / ならず者たち」というネーミングのビール。商品名は英語ですが、ラベルにこれでもかと5つの欧州言語で「ビール」と書かれているうえ、「TEQUILA」という謎の表記 (テキーラが入っているわけではなく、あくまでTEQUILAフレーバーということらしい) が、混乱に拍車をかけるこのビール、オリジナルはれっきとしたフランスのブリュワリーだとか。今はクロアチアで生産されております。

写真右下は「キャロット・ラペ」。 フランス人は本当にこれが好きなのですね。どこのスーパーでも、多くのブランドの商品が山積みになっていました。


ホテルの部屋でテレビを見ながら食事をとっていたら、寂しくなって再び夜の街へ…。

夜の凱旋門
ライトアップされたエッフェル塔

宿泊は「リバテルガール ヂュノールスエード」4連泊の最終日、金曜日のお値段は11,706円。

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