川港を擁する交易地・カウナスは、1441年にハンザ同盟の都市となり、大きく発展しました。1862年にはロシアとドイツを結ぶ鉄道が開通し、カウナスは重要な中継地点となります。
1919年、それまで首都であったヴィリニュスがロシアに占領されると、リトアニア政府はこの街に移転して来ました。そして翌1920年にはヴィリニュスがポーランドに併合され、カウナスは臨時の首都となります。
それから第二次世界大戦までの間、カウナスはリトアニア最大の都市として、工業的にも発展しました。1939年に大戦が始まると、リトアニアを含むバルト三国はポーランド東部と共にソ連に占領されますが、間もなくドイツ軍が侵攻して街は破壊されます。
ドイツ軍侵攻に伴い、隣国ポーランドから迫害を逃れて大量のユダヤ人が、カウナスに流入してきます。
当時カウナス日本領事館に領事代理として赴任していた「杉原千畝 (ちうね)」は、シベリア鉄道を経て極東へ逃れようとする難民たちに対し、1940年7月から領事館が閉鎖される8月31日ギリギリまで査証を発給し続け、欧州からの脱出を支援しました。
盟邦ドイツへの配慮から査証発給を避けるよう訓令を発した外務省に反して、杉原が発行した「命のビザ」は数千人分にのぼるといわれ、彼は「東洋のシンドラー」とも呼ばれています。
千畝という名は、彼の故郷・岐阜県八百津町の段々畑から命名されたと言われます。
現在、カウナスの旧日本領事館は、彼の功績を称えた「杉原記念館」として公開されています。
記念館は高台の住宅街にあり、場所は分かりづらいです。
カウナス駅を背に右へ曲がり、ほどなく左手に見える花市場を左に曲がって進むと、左に小さな公園が現れます。
散歩していた地元の人に記念館の場所を尋ねると、私のような日本人観光客が多く訪れているのでしょう、ドヤ顔で高台に上る階段を教えてくれました。
記念館で絵葉書を販売していたので、購入して自分宛に投函、10月9日に長野市の自宅に到着しました。
記念館を見学後、カウナスの街をぶらぶらします。墓地には個性的なデザインの墓碑。
電車でビリニュスに戻り、本日の宿泊場所がある旧市街に向かいます。