ヴィヴェーカナンダ・ヨーガ・ケンドラによる「IYC ヨーガ講座」の第6回は、「バクティ・ヨーガ」と「sVYASAのプラーナ―ヤーマ」「オーム瞑想法」です。
<バクティヨーガとは何か>
(“バクティヨーガ”スワミ・ヴィヴェーカナンダより)
「バクティ (信愛) は、 神への強烈な愛である」
ギャーナ (鳥の一翼) バクティ(他の一翼)、ヨーガ (方向 舵) が調和を持って融合しているタイプの人格がもっとも高 貴。 (P16)
バクティというのは、ふつうの礼拝に始まってイシュワラへ の強烈な至高の愛に終わる、 宗教的な悟りをめざす一連の心の努力だと言える。
(2) バクティヨーガの目的
この世間には、 肉体的快楽をもたらすものだけが有益なもの と考える人が多い。しかし、そうした感覚の満足は赤ん坊の単なるおもちゃだと知っている人々にとっては、神と神への 愛は、人間存在のために唯一にして、最高に有用なものなの です。
(ケーキの中に幸せは入っていない)
バクティ・ヨーガの準備段階 (ガウニ)のものと、最高のもの(パラー)とがある。
決して快楽を目的にしたバクティにはならぬように。
ガウニとは:
1) 特定の宗教的伝統に関する行為 賛歌斉唱 巡礼、 社会奉仕、寄付
2)祈り 神名の誦唱、導師への礼拝、 聖音アウンの誦唱、真言誦唱
3)9種のバクティ
1 シュラヴァナム (聴聞)
2 キルタム (賛歌斉唱)
3 スマラナム (神様を想起すること)
4パーダセーヴァナム (神様への奉仕 )
5 アルチャナム (神様への礼拝儀礼執行)
6ヴァブダナム (神様へ低頭礼拝すること)
7ダスヤム (神様への労苦提供)
8 サキヤム (神様と友になること)
9 アートマ・ニヴェーダナム (自我意識を放棄すること)
(4)神様に対する五つの態度 (パンチャ・バーヴァ・善性優位のバクティ)
1調和のとれた態度 (シャーンタ・バーヴァ ex哲学者など)
2養親の如くの態度 (ヴァートゥサルヤ・バーヴァ)
3 友に対するが如きの態度 (サキヤ・バーヴァ)
4召使いの如くの態度 (ダースヤ・バーヴァ)
5恋人の如くの態度 (マドゥラ・バーヴァ)
(注)
以上から考えられるバクティの三段階
第一段階: 情欲や強欲などのカーマ (愛着)の段階
第二段階:カーマを基に神様に献げ物をしたり、神様と分か ち合いをしたり(行為の結果の放棄)するプレマ
(友情)の段階
第三段階: プレマ段階に自己放棄(プラパティ)の心が加わ ると、友情を越える段階になるが、これがバクテ ィとなる段階。
(注)
パラー・バクティ (最高の信愛)とは:
1 アナムヤ・バクティ (心の中が神様への信愛の思いのみ)
2 サラナーガハ (神様の御前で自己の意識を無くすこと)
3タダルタム・カルマ (神様に全ての行為を捧げること)
(3) 準備段階の放棄
*準備段階とは魂の浄化だけを目指しなさい。
最高の浄化具は 「放棄」 です。
カルマヨーガ行者の放棄は 「行為の結果に対する思いを放棄する」ことです。
ラージャヨーガ行者の放棄とは 「真の自己は自然から永遠に 離れているという自覚を得ること」 です。
ギャーナ・ヨーガ行者の放棄とは「この世をマーヤー (迷妄) と見ること」です。
バクティヨーガ行者の放棄とは 「感覚の楽しみや、 知性の喜 びへの愛は、神様ご自身への愛によって影がうすくなるのです。 丁度、強い光の前では弱い光はかすかなものになってゆき、 遂 には消えてしまうのと同じだから」と思うことです。
(4) バクタの放棄は愛から生まれる
*社会で非常に悪い、極悪非道の者のことごとくは、愛の感情 があやまり導かれた結果です。 悪人は自分だけを愛しているの です。
*バクティヨーガは、より高い愛の科学です。愛をどの様に 導くかを教えてくれます。つまり、どのように制御するか、ど のように処理するか、どのようにもちいるか、どのように新しい目的をあたえて、そこから最高のもっともかがやかしい結果を得るかということを、つまり愛によって最高の宗教的至福の境地に至れるかを教えてくれます。
* 美しいものへの渇望を神様に向けるのが、バクティヨーガ。
*個人的無執着の感情をもち、神様の強大な愛の感情がどのようにしてこの世界に働いているかを、見てごらんなさい。
*バクティヨーガ行者の放棄とは、 神様でないものへの無執着 バイラーギヤ) であり、神様への深い愛着から生まれる。これがバクティの準備段階である。この放棄がうまれると至高の帰依 (信仰 パラー・バクティ) という高遠な領域に入るための門が開かれる。
*至高の帰依(信仰・パラー・バクティ)の境地では区別を見ずに、一切の所に愛しいお方を見るのみ。
*ヘビにかまれても、愛しいお方からお使いが来たと言うだけ です。うらみません。 憎しみや嫉妬の形で反応することはない のです。
(5) 愛の三角形
*愛は三角形であらわされる。三つの特徴がそろわなければ、 真の愛はありえない。
1) 愛は取り引きしない。
神様に自分の愛を与え、お返しとしてでも神様から何一つ求め るな。Ex.乞食たる王から何も受け取らない行者
2) 愛は恐れない。
恐怖心から神様を礼拝する者は最低の者です。もし人が自分を小さなつまらない存在だと思うと、恐怖心は必ずその者を襲うでしょう。
Ex. 犬を恐れる女も、我が子をライオンからかばう時は恐れない。子への愛という愛を持ったから。
神様への愛を持った者の強さを想像してみなさい。
3) 愛は比べない。
多くの場合、人間の愛はあやまり導かれ、あやまった対象にそ そがれる。しかし愛している人にとっては、自分が愛しているものが最高の理想なのです。最高の理想は神様です。その理想を理想として、愛の最高の立場から礼拝すればよい。この世のあらゆる社会活動は内なる理想を形にあらわそうとする葛藤で す。こうした外界への理想の具体化は無益なことです。
(6) 愛なる神は、あかしを必要としない
*パラー・バクティの最高の形
「あなたに、私の全てをさしあげます。あなたから何一ついただきたいとは思いません。ほんとうに、私がわがものとよべるものは一つもないのです」
*愛の宗教を実践するにあたり、対象の次に対象がとりあげられ、内なる理想が次々に、それらの上に投影されます。そして遂には求道者は、外界の対象の中に理想を実現しようと試みるのは無益である、すべての外界の対象は理想そのものにくらべ ては無に等しいと思いはじめます。そしてバクティヨーガ行者は、最高の抽象的理想を、真に実在する存在として実現させる力を得るのです。
(7) 神の愛を表現する人間の愛
*全宇宙は我々にとっては、有限なるもののことばで説明されている無限者の文書です。
*神様の愛を理解する方法の序列
1) 平和の道 (シャーンタ バクティ)
単なる儀式や象徴より高いが、火のような愛でもなしに神を礼拝する方法。
2) 使徒の道 (ダーシャ・バクティ)
自分は神様の召使いだと思い礼拝する方法。
3) 友情の道 (サキヤ・バクティ)
自分と神様の間に同等 (遊び友達) の感覚を持って礼拝する方法。
4) 養親の道 (ヴァートゥサルヤバクティ)
神様を自分の子供とみなして献身しつつ礼拝する方法。
5) 甘美の道(マドゥラ・バクティ)
くるおしくも甘美な思いを持って神様と交わりつつ礼拝 する方法。 「あなたはいつまでも、いつまでも私の恋人 でありますように」