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ネパールの街道、砂埃とオイルに煤けた修理工場で

ネパールの街道、砂埃とオイルに煤けた修理工場で

ネパール旅行7日目

僕らは、国道沿いの自動車修理工場にいた。

長い間、トラックのディーゼル排気と砂埃を浴び続け、くすんだ佇まいになった工場だ。

 

ネパール国内ドライブの最終日となる今日、カトマンドゥに帰る途中で、僕らが乗った車は、後続車に右側から衝突された。

不幸中の幸い、自動車修理工場が近くにあり、徐行しつつ何とか辿り着いたというわけだ。

工場といっても日本とは違い、電動ジャッキがあるわけでもなく、コンクリートで作った2列のスロープに車を乗り入れ、列の間に人が入って車体下部を診断・修理するという造り診断の結果、ハンドルとタイヤをつなぐ鉄の棒 (tie rod) が曲がっていた。

これでは、まともなハンドル操作は、とてもできない。

工場の主人は、タイロッドを車体から外すと…

単管に差し込み、じわじわと力をかけて、てこの原理でタイロッドを、まっすぐに直そうと試みた。

ところが途中で、ポキッっと、タイロッドが折れてしまったのだ。

 

「このあたりに、宿はあるだろうか?」

カトマンドゥへの今日中の帰着を、僕はあきらめた。

だが、主人は慌てる様子もなく、溶接機を持ち出してくると…折れたタイロッドの接着を始めた。

ハンマーで叩いて真っ直ぐに修正し、水道水で冷やす。

そして元通りに、車体に取り付けた。

取り外してから、この間、ものの20分。

「これで、走行できるのだろうか」

溶接部分が青白く変色したタイロッドを見ながら、僕は思った。

しかし、その不安をよそに、車はネバールの荒れた路面を疾走し、僕たちは無事、カトマンドゥに到着したのだった。

ボロボロのシャツとズボンをまとった工場主の姿に僕は、「完璧をめざすことはない。生きていくのに必要じゅうぶんなことを、自分の力で、出来るようにしておくのさ」という英知のようなものを、感じ取った。

汗とオイルで黒光りした、その腕の、さりげない動きの中に。

日本なら、受付・部品発注・修理・納車と、細分化されたシステムの中で、一週間以上を費やして、新車のような車が仕上がってくるだろう。

その代価は、時間という名の人生を削り取って、会社に切り売りすることで得た「お金」で、支払うことになるのだけれど。

 

しかし、その気にさえなれば、お金を費やして他人に頼まなくても、自分でできることが、結構あるのではないか。

修理工場の主人を見ながら、そんなことを感じたのだけれど、その思いは、旅路のなかで、さらに深まることになる。

 

無事にドライブ旅行を終えた僕は、同行したネパール人の家に滞在することになった。

カトマンドゥから70kmほど北にある、山あいの小さな村。

ここの田舎の男たちは、総じて、おしゃべりだ。

いつも家にいて、隣人らがやってくると、お茶を飲みながら延々と世間話をしている。

いったい彼らは、何の仕事をしているのだろう、と不思議だったのだが、村に滞在しているうち、だんだん謎が解けてきた。

彼らは夜が明けると同時に畑を耕し始め、作業が一段落すると、庭で採れたバナナ・パパイヤ・マンゴーなどを朝食代わりに食べる (これらは「カジャ =おやつ 」と呼ばれる。ネパールでは、食事は昼夜2食とされている)

そして、バッファローの乳を搾ると、手動の遠心分離機でヨーグルトやギーを精製したり、ハチミツを採ったり、稗からドブロクを作ったりなんかもしている。

友人とともに、近所のお宅を訪問したときは、山羊をシメる現場にも遭遇した。

あっさり山羊の首をはね、熱湯をかけて毛をむしる様子を前に、「30分もすればバーベキューの支度が整うから、しばらくその辺を散歩してこようぜ」と友人。

「ずいぶん手際がいいんだね」と驚く私に、「彼らはファーマー (農夫) だからね」と、友人は事もなげに言う。

あるいは、遠くランタン・リルンを望む、山腹の家を訪ねたときは、老人が一人、日がな一日、竹かごを編んでいた
彼らは一日の時間を、自らの生活に必要なものを作り出すことに充てている。

お金を出して、商品を買う必要がないのだ。

 

他人に売る商品を作るわけではないので、GDP には寄与しないのだろう。

したがって、「ネパールはGDPが低く、最貧国の一つ」と表現されるのだけど、「貧しい」とは、一概に言えないのではないか。

翻って思い起こすのは、ネパール行きの飛行機に乗るため、成田空港に向かったときのこと。

高速道路の深夜割引を利用しようと、僕は午前3時半、安曇野IC に車を乗り入れた。

首都高を混雑前にくぐり抜け、7時には湾岸線に滑り込む目論見だったのだが、6時頃から中央道の渋滞に巻き込まれてしまった事故かと思ったのだが、そうではなくて、どうやら通勤渋滞らしいのだ。

やがて見えてきた電光掲示板、「通行量分散のため、午前5時台の通勤にご協力を」との内容に、僕は気を失いかけてしまった。

これは、ネパールと日本、どちらがいい悪いという話ではない。

生き方には、いろいろある、ということ。

無意識のうちに、現状の生き方の範疇で解決策を見い出そうとするから生きづまってしまうのであって、生き方の立ち位置をちょっとシフトすることで、案外、違った景色が開けてくるのかもしれない。

どう生きるか、その選択権は、自分が握っているのだから。

どこかの知らない誰かが作ったシステムに組み込まれて、心と時間をすり減らすのだけは、ご免こうむりたい。

…そんなことを思っていたら、タイミングよく、以下のようなジョークを、ネットで拾いました。

 

ある実業家が、息子に「貧しさとは何か」を知ってもらうため、田舎の農家で数日間過ごさせることにした。
彼らは3日間、その質素な家で過ごした。
「それで…何を学んだ?」帰りの車の中で、父親が息子に尋ねた。息子はこう答えた。

僕たちは犬を1匹飼っているけど、彼らは4匹もいる。

僕たちはジャグジーがあるけど、彼らには小さな魚が泳ぐ透明な川がある。

僕たちは庭を照らすライトがあるけど、彼らは星と月の光で照らされている。

僕たちの庭はフェンスまでだけど、彼らの庭は地平線まで広がっている。

僕たちは食べ物を買うけど、彼らは自分たちで育てて収穫している。

僕たちはCDを聴くけど、彼らはツバメやカエル、羊、モルモットたちが奏でる永遠の交響曲を聴いている。

僕たちは電子レンジで料理をするけど、彼らは薪のかまどで料理するから、すべての食べ物に素朴な味わいがある。

僕たちは防犯アラーム付きの壁に囲まれて暮らしているけど、彼らは扉を開け放ち、近所の人たちとの絆に守られている。

僕たちはスマホやSNS、テレビに繋がっているけど、彼らは空、太陽、水、森の緑、動物、作物、家族と「繋がっている」

息子は最後に言った。
「パパ、僕たちがどれほど貧しいかを教えてくれてありがとう! そして、彼らがどれほど豊かかも!」

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