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ネパールティーが冷めてしまわぬうちに

ネパールティーが冷めてしまわぬうちに

ネパール人のタパさんとともに、ポカラ・ルンビニ・チトンを巡る旅を終えた僕は、トプチェ村にあるタパさんの自宅に、滞在させてもらうことになった。
周囲は、菜の花が真っ盛り。

 

タパさんの家には、リドゥンという名の、12歳の少年が同居していた。

右手首を骨折してギプスを巻いた姿が痛々しいが、左手を器用に使いながら、いつも笑顔を浮かべている彼だった。

僕が暗い洗面所で歯を磨いているときなど、無言で電気のスイッチを入れてくれるような、よく気が利く、はにかみ屋さんだ。

 

タパさん宅で迎えた初めての朝、屋上のバルコニーでスマホをいじっていた僕は、「ダーイ、ティー (兄さん、お茶だよ)」というリドゥンの声を、背中で聞いた。

「ダイ」というのは、年上の男性に呼びかける時に使うネパール語だ。

僕は、リドゥンが、庭にいるタパさんに呼びかけているのだと思い、そのままスマホの操作を続けた。

 

しばらくして振り返ると、簡素なテーブルの上に、湯気の立つカップが一つ、ポツンと置かれているのが、目に入った。

 

そこにはいないタパさんのものなのか、あるいはヒンドゥー教の何か供え物を意味しているのか、それとも僕が飲んでいいものか、僕は計りかねていた。

 

カップから立ち上る湯気が細くなっていくのを、複雑な思いで眺めているうち、近所の人たちが数人、ガヤガヤとバルコニーにやって来た。

朝の訪問客。

とにかくネパールでは、時間を問わず近所の家を訪問しては、お茶を飲みながら世間話に花を咲かせる。

ほどなくタパさんもバルコニーにやって来て、場はますます賑やかになった。

そうこうするうち、訪問客の一人が、机に置かれたカップを至極当然な動作でつかむと、中のお茶を飲みほした。

冷めてしまったお茶が、行き場所を得たのを見て、僕は心底ホッとしたのだった。

 

「あのお茶は、リドゥンが僕のために淹れてくれたのでは?」

その思いは、その日いちにち中、僕の心を支配していた。

がっかりしてバルコニーを後にする彼の姿を思い浮かべ、僕の心は痛んだ。

 

翌朝、僕は早めにキッチンに行った。

いつものようにキッチンにやってきたリドゥンに、「お茶の作り方を教えて」と、僕は頼んだ。
彼は嬉しそうに、鍋にお湯を沸かし始めた。

その日以来、一緒にお茶を淹れることが、僕たち二人の日課になった。

 

彼は、日本式のカレーを作る僕を、手伝ってくれたり…ネパール語がわからない僕と、日本語がわからないタパさんの間に入って、英語で通訳を勤めてくれたりもした。

(ネパールでは、私立学校の授業は英語で行われることが多く、小学生でも基本的な英語を話す)

 

リドゥンの父親は、リドゥンがまだ幼い頃、蒸発したらしい。

そして母親も、男ができたらしく、リドゥンを一人残して家出してしまったという。

遠い親戚にあたるタパさんが、引き取って育てているようだ。

 

ネパールには、親のいない子どもを養子に迎え入れるという考え方がないようで、孤児は養子を求める欧米諸国の人々に引き取られることが多いという。

しかし児童養護施設が、養子縁組をビジネスとして斡旋するケースが問題化しているらしい。

また、インドや中東の国々に連れて行かれる孤児については、記録さえも確認できないようだ。

児童労働や児童買春の問題も潜在化している。

 

別れの日、僕は、「日本に来てみたい?」と、リドゥンに言い出したい衝動を抑えていた。

実現性が定かではない、軽はずみな提案で期待を抱かせてもいけないし、数日間の旅行に招くことが、彼の将来に良いことであるかどうかも分からなかったから。
でも次に会うときは、何らかの打診をするつもりだ。

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