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リスボンからマドリッドへ。ポルトガルとスペイン、隣国なのに異なる空気感

朝、電車内で目覚めると、そこは情熱の国スペイン。

私にとっては、サングリアとパエリアの国。

日本との時差は7時間、ポルトガルとは1時間。


「パエリア」はバレンシア語で「フライパン」の意味。

バレンシアの猟師が獲物を、アラブ人がもたらした米と一緒に煮込んだのが始まりと言われる。

現在では、タコ、エビ、ムール貝(ムラサキイガイ)、ヨーロッパアカザエビ、イカ、白身魚などを用いた、魚介系パエリアが有名。

炒めた具材を、いわば蓋代わりに、ジャバニカ米を水・サフランで炊き上げる。

着色料として使用するサフラン(saffron)は、アヤメ科の多年草のめしべを乾燥させた香辛料。

イラン原産とされるが諸説あり。
重量単位で比べると、世界で最も高価なスパイスのひとつであるため、安価な着色料が使われることもある。

パエリアのレシピ>>>

 

夕暮れのマヨール広場(Plaza Mayor)

 

血気はやる空気が漂うスペインと、昨日滞在したポルトガルの、どこかのんびりした雰囲気は、隣同士の国なのに、ずいぶん印象が異なります。

 

ポルトガルとスペインとの関係は、過去には併合あり侵略ありで、決して常に仲良しだったわけではないが、一般的に互いのことを好意的にとらえており、それは両国の歴史的経緯に由来するらしい。

8世紀、イベリア半島にイスラム勢力が侵攻し、キリスト教徒の国であった西ゴード王国を滅ぼした。

イベリア半島はイスラム勢力のウマイヤ朝の支配下に置かれることになったが、キリスト教徒の小さな王国の数々が、イスラム勢力からイベリア半島を奪回する戦い (レコンキスタ) を開始。

小国の中で特に強い力を持ち、レコンキスタの主役だったのがレオン王国・アラゴン王国・カスティーリャ王国。

そしてレオン王国の一部が1143年に独立、これがポルトガル王国の誕生となった。

その後、レオン王国がカスティーリャ王国に統合され、最終的には1479年にカスティーリャ王国とアラゴン王国が結婚という形で連合王国になったことで、イベリア半島にあった小国は統一、スペイン王国となった。

1492年には、イスラム勢力の最後の砦であったグラナダのアルハンブラ宮殿が陥落して、レコンキスタは完了。

ときを同じくして、スペインのイサベル1世が援助をしたコロンブスがアメリカ大陸を発見、大航海時代の幕開けとともにスペインは黄金時代へと突入する。

ルーツが同じポルトガルとスペインは親戚のような関係で、相手国の王家から、妻を求める事も多々あった。

1580年には、ポルトガル王家の直系が絶えたため、スペイン王フェリペ2世が、母がポルトガル王家出身を理由に、ポルトガル王位を兼ねることに。

ポルトガルが世界中に持つ植民地もスペインのものとなり、スペインはさらに隆盛を極める。

しかし、イングランドの台頭によりスペインは衰退、1640年にはポルトガル革命が起こり、スペインの統治から独立。

19世紀に入ると、スペインはフランスとともにポルトガルに侵攻、ポルトガルから賠償金とオリヴェンサの地を得る。

しかし、スペインとポルトガル双方が、ナポレオン率いるフランスに侵攻されてしまう。

後に、共にフランスの占領に打ち勝つものの、両国とも内政が荒れ、王政と共和制が短い期間で入れ替わる中で、軍部から独裁者が出現。

独裁政治が幕を閉じ民主制に移行したのは、ポルトガルが1976年、スペインが1978年のこと。

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