1951年に出版された、J・D・サリンジャーによる長編小説のあらすじ。ネタバレです。
なお、ローマン体 (立体) 文字は、物語のあらすじ。イタリック体 (斜体) 文字は、本文からの抜粋で、原文のまま。
主人公は、ペンシルベニア州エージャータウンの全寮制高校に所属する16歳の少年、ホールデン・コールフィールド。
成績不振・素行不良で退学処分を受けることになったホールデンは、クリスマス休暇前の土曜の夜、ルームメイトと喧嘩して寮を飛び出すことに。
ニューヨークに着いた彼は、怪しげなホテルに宿泊。
日曜の夜になるまで、友人やガールフレンドたちに会ったり、女の子たちとダンスを踊ったり、ホテルで売春婦を斡旋する男に金を巻き上げられたり、酒を飲んで酔っぱらったりと、さまざまな経験をします。
しかし主人公は、すべてが俗物的でインチキなものにしか感じられません。
例えば、女の子たちとダンスを踊ったあと、一人、ホテルの部屋に戻ったホールデン。くすぶった気持ちを晴らすため、グリニッジ・ヴィレッジのナイト・クラブに繰り出したときの気持ちを、こんなふうに語ります。
僕が入っていったときに弾いていたのが、なんという名前の曲か、よくは知らないけれど、しかし、なんという歌にしろ、ピアノ奏者がそれをすっかりいやったらしいものにしてたことには間違いない。
高音を弾くときに、自慢たらしく漣 (さざなみ) みたいな馬鹿な音を入れたり、その他にも、聞いてていらいらして来るような曲芸めいた弾き方をいろいろやってみせるんだ。
でも、弾き終わったときの聴衆のさわぎは聞かせたかったよ。
きみならきっとへどを吐いたろう。まるで気違いなんだ。
映画を見ながらおかしくもないとこでハイエナみたいに笑う低能がいるけど、あれと全く同じだったね。
神に誓っていうけど、かりに僕がピアノ弾きか俳優なんかであったとして、あんな間抜けどもから、すばらしいなんて思われるんだったら、むしろいやでたまんないだろうと思うね。
拍手されるのだっていやだろうよ。
拍手ってものは、いつだって、的外れなものに送られるんだ。
僕がピアノ弾きなら、いっそ押入れの中で弾くな。
ま、それはとにかく、アーニーの演奏が終わって、みんなが頭がすっ飛ぶほどの勢いで喝采すると、アーニーの奴、回転椅子に坐ったまんま、くるりとこっちを向いて、いかにもつつましやかにインチキきわまるお辞儀をしやがった。
まるで彼が、素晴らしいピアノ弾きであるばかりでなく、非常につつましい人間ででもあるみたいにね。
あんなのすごいインチキなんだ。
でも、おかしな話だけど、僕は、演奏が終わったとき、アーニーが少し気の毒になったんだな。
あいつは、自分の演奏がそれでいいのかどうかも、もうわかんなくなってんじゃないかと思うんだ。
それは彼の罪だけじゃないんだな。
一部分は、頭がすっ飛ぶほどに喝采する、ああいう間抜けどもの責任でもあるんだ。
あいつらは、機会さえ与えられれば、誰をだってだめにしちまうんだから。
とにかく、おかげで僕はまた気が滅入って、いやな気分になっちまった。
このクラブでホールデンは偶然、兄の元彼女・リリアンと、連れの海軍中佐に出くわしますが、兄のことばかり気にかけているリリアンにうんざりし、「人と会う約束がある」と嘘をついて、クラブを抜け出そうとします。
リリアンに向かって、人に会わなきゃならないて言った以上、僕もそこを出ていくよりほかに仕方がなくなった。
そこにねばって、アーニーの半分くずれた演奏を聞いてることさえ、できなくなったし、かといって、リリアンとあの海軍さんのテーブルに仲間入りして、死ぬほど退屈な思いをするのはまっぴらだった。
海軍さんと僕は、お互いに、お目にかかれてうれしかったと挨拶をかわした。
これがいつも僕には参るんだな。
会ってうれしくも何ともない人に向かって、「お目にかかれてうれしかった」って言ってるんだから。
でも、生きていたいと思えば、こういうことを言わなきゃならないもんなんだ。
店を出るためオーバーを受け取りながら、僕は腹が立ってたまらなかった。
こっちのやろうとすることは、いつも人から、めちゃめちゃにされちまうんだからな。
このあたりの描写は、子どもの世界にありながら、大人の世界にも片足を突っ込んでいる、ホールデンの不安定な状態がにじんでいます。
こんな具合に、ホールデンは出会うものすべてに不満を感じながら、一方で人とのつながりを求め、孤独感ばかりを募らせていきます。
そんなホールデンが唯一、全面的に好感を寄せるのが、妹のフィービー。
彼女に会いたくなったので、ホールデンは日曜の夜、こっそり家に帰ることにします。
途中、道を歩いているホールデンの耳に、子供たちの歌声が聴こえてきます。
スコットランドの民謡で、「ライ麦畑で、誰かが誰かを捕まえたら(If a body catch a body coming through the rye.)」と歌っています。
これは、『Comin’ Thro’ the Rye』という曲で、実際の歌詞は「ライ麦畑で誰かが誰かと出会ったら(If a body meet a body coming through the rye.)」であり、ホールデンは間違って覚えていました。
ホールデンが家に着くと、都合のよいことに両親は出かけており、ホールデンはフィービーと再会します。
しかし、ホールデンが放校になったことを知ると、フィービーは彼を問い詰めます。
「兄さんは、世の中に起こる何もかもがいやなんでしょ。街を出たところで、何になりたいの?」彼女にそう言われると、僕はますます憂鬱になった。
「僕が何になりたいか言ってやろうか。なんでも好きなものになれる権利を神様がくれたとしてだよ」と僕は言った。「君、あの歌知ってるだろう『ライ麦畑でつかまえて』っていうの。僕のなりたい…」
「それは『ライ麦畑で会うならば』っていうのよ!」とフィービーは言った。「あれは詩なのよ。ロバート・バーンズの」
「それは知ってるさ、ロバート・バーンズの詩だということは」
それにしても彼女の言う通りなんだ。「ライ麦畑で会うならば」が本当なんだ。ところがそのとき僕はまだ「つかまえて」だと思ってたんだよ。
「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子どもたちが、みんなで何かのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。
何千っていう子どもたちがいるんだ。
そしてあたりには誰もいない。
誰もって大人はだよ。僕のほかにはね。
で、僕は危ない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ。
つまり、子どもたちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。
そんなときに僕は、どっからか、さっと飛び出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。
一日中、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」
フィービーは長いこと何も言わなかった。
両親が家に帰ってきたため、ホールデンは見つからないようにこっそり抜け出し、かつての高校の恩師であるアントリーニ先生の家を訪れます。
アントリーニ先生は、ホールデンに助言を与えますが、的をついてはいるものの、ホールデンの救いにはなりません。
「きみは今、堕落の淵に向かって進んでると思う。
この堕落は特殊な堕落、恐ろしい堕落だと思うんだ。
堕ちていく人間は、ただ、どこまでも堕ちていくだけだ。底というものがない。
世の中には、人生のある時期に、自分の置かれている環境がとうてい与えることのできないものを、捜し求めようとしたした人々がいるが、今の君もそれなんだな。
いやむしろ、自分の置かれている環境では、捜しているものはとうてい手に入らないと思った人々と言うべきかもしれない。
そこで彼らは捜し求めることをあきらめちゃった。
実際に捜しにかかりもしないであきらめちまったんだ。
わかるかい、僕のいうこと?」
先生は立ちあがって、また少しグラスに酒を注いだ。
「君をおどかすつもりはないんだがね」先生はそう言った。
「しかし、僕には、君が、きわめて愚劣なことのために、なんらかの形で、高貴な死に方をしようとしていることが、はっきりと見えるんだよ」そう言って先生はへんな顔をして僕を見た。
「ウィルヘルム・シュテーケルという精神分析の学者はこう言っている。『未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、卑小な生を選ぼうとしている点にある』」
物語はすでに300ページを数え、最後のクライマックスの段階。
私は、浜田省吾の曲「独立記念日」のサビを思い出しながら、物語の希望なき結末を予感し、暗澹たる気分になりました。
♬ Highschool Jail oh… Highschool Jail
サーチライトに 照らし出され
震えている 俺が見えるかい?
鈍く光るナイフ手にした ♬
月曜、セントラルステーションのベンチで朝を迎えたホールデンは、ヒッチハイクで町を出ることを決意。
その旨を妹のフィービーに伝え、彼女から借りたお金を返すため、もう一度会う約束をします。
約束の場所にフィービーは、大きなカバンを、引きずるように抱えて来ました。
驚いたホールデンが尋ねます。
「そのカバンには、いったい、何が入ってるんだい?
僕はなんにも要らないよ。このまま出かけるんだから。
いったい、その中に何を入れて来たんだ?」
彼女はカバンを下におろすと「あたしの着る物よ」と言った。「あたしも一緒に行くつもりなの。いいでしょ? いいわね?」
「なんだって?」と僕は言った。彼女のその言葉を聞いたとき、僕はもう少しでぶっ倒れるとこだったね。
意表をつくフィービーのせりふに、思わず吹き出してしまいました。
そして、物語はここから意外な展開をみせます。
当然のごとくホールデンは、フィービーの申し出を拒否し、歩き始めますが、距離をとりながら彼女はついてくる。険悪な雰囲気のまま、二人は歩き続けます。
僕たちは、公園の中の狭い道を横切って、それから、いつも誰かが小便をしたばかしのような臭いのしてる、あの小さなトンネルの中を通って行った。そこはあの回転木馬のとこへ行く道なんだ。
フィービーは、まだ、僕に口をきこうともなんともしなかったけど、並んで歩くようにはなっていた。
とにかく、僕たちは、回転木馬のところまで、だんだん近づいて行ったんだ。すると、そこでいつもやってる間が抜けたみたいな音楽が聞こえ出したんだな。
曲は「おお、マリー」だった。今から五十年も前になるが (この表現は、著者がよく使う誇張表現)、 僕が子どもの時分にも、あの歌をやってたもんさ。これが回転木馬のいいとこなんだ。いつも同じ歌をやってるってとこが。
「冬には回転木馬はしまってるんだと思ってたわ」とフィービーが言った。
彼女が口らしい口をきいたのは。これが初めてだったんだ。
「たぶん、クリスマスが近いからだろう」と僕は言った。
僕がそう言っても彼女は黙ってた。
「木馬に乗りたくないか?」と僕は言った。乗りたいことはわかってたんだ。
まだ彼女がほんの子どもだった時分、アリーとD・Bと僕とで、彼女をいつも公園に連れてきたものだったけど、彼女は回転木馬に夢中だったんだ。
木馬からおろすのが、一騒動だったんだ。
「あたしじゃ大きすぎるわ」と、彼女は言った。僕は、返事なんかしないだろうと思ったけど、彼女はしたんだよ。
「いや、そんなことはないさ。お乗りよ。待っててあげるから、お乗り」僕はそう言った。
そのときにはもう、回転木馬のところに行きついていたんだ。
数人の子どもたちが乗っていたけど、たいていはうんと小さな子どもたちで、数人の親たちが、外のベンチやなんかに腰かけて待っていた。
僕は、どうしたかというと、切符を売る窓口へ歩いて行って、フィービーの切符を1枚買ったんだ。そしてそれを彼女に渡してやったんだ。
「兄さんも乗らない?」彼女はそう言った。そしてなんだかへんな顔をして、僕を見てるんだ。もうあまり僕のことを怒ってる顔ではなかったな。
「僕は今度にするよ。君を見ててあげる」と僕は言った。「切符は持ってるね」
「ええ」
「じゃあ、行っておいで。僕はここのベンチにいるから。君を見ててあげる」僕はベンチのとこへ行って腰をおろした。
するとフィービーは、回転木馬のほうに歩いて行って台の上にあがったんだ。それからぐるっとまわりを歩いて来た。
つまり、ひと通りまわりを回ってみたわけだ。
それから、大きな、褐色の、くたびれたみたいな木馬にまたがったんだよ。
やがて木馬は回り始めた。
僕は回って行く彼女の姿を見守っていた。
フィービーのほかに、乗ってる子は5,6人しかいなかった。
そして演奏している曲は「煙が目にしみる」だったけど、とてもジャズっぽい、おかしな演奏のしかただったな。
回転が止まると、彼女は木馬をおりて、僕のとこへやってきた。「今度は、いっぺん、兄さんも乗って」と、彼女は言った。
「いや、僕はただ、君を見ててあげるよ。僕は見てるだけでいいんだ」
僕はそう言って、彼女の金の中からいくらか出して渡してやった。「はい。もう少し切符を買っといで」
彼女はその金を受け取ると「あたし、もう兄さんのこと怒ってないのよ」と言った。
「わかってる。さあ、急いで。また動き出すよ」
そのとき彼女はいきなり僕に接吻したんだよ。
それから片手をさし出してたが、「雨だわ、雨が降り出したわ」と言ったんだ。
「わかってるよ」
それから彼女がどうしたかというと、本当に参っちゃったんだけど、僕のオーバーのポケットに手を突っ込んで、例の赤いハンチングを取り出して、そいつを僕にかぶせたんだ。
「君はいらないの?」と僕は言った。
「しばらくかぶってていいわ」
「よし、わかった。でも、もう急がなくっちゃ。乗りそこなうよ。君の木馬に乗れなかったりしたら困るぜ」
それでもまだ彼女は行かないんだな。
「さっき言ったの、あれ本気 ? もうほんとにどこにも行かないの ? あとでほんとにおうちへ帰るの ?」彼女はそう言った。
「そうだよ」と僕は答えた。事実、ほんとにそのつもりだったんだ。
僕はフィービーに嘘はつかなかった。後になって実際にうちへ帰ったんだから。
「さあ、急がなくっちゃ」と、僕は言った。「もう、動きかけてるよ」
彼女は走って行って切符を買うと、回転木馬のとこへ戻って行ったが、ちょうどそれが間に合った。
それから彼女は、ぐるっとまわってまた自分の馬のところへ行き、それに乗ると、僕に向かって手を振った。
僕もそれにこたえて手を振ったのさ。
雨が急に馬鹿みたいに降り出した。全く、バケツをひっくり返したように、という降り方だったねえ。
子どもの親たちは、母親から誰からみんな、ずぶぬれなんかになってはたいへんというんで、回転木馬の屋根の下に駆けこんだけど、僕はそれからも長いことベンチの上にがんばっていた。
すっかりずぶ濡れになったな。特に首すじとズボンがひどかった。
ハンチングのおかげで、たしかに、ある意味では、とても助かったけど、でもとにかく、ずぶ濡れになっちまった。
しかし、僕は平気だった。
フィービーがぐるぐる回り続けてるのを見ながら、突然、とても幸福な気持ちになったんだ。
本当を言うと、大声で叫びたいくらいだった。それほど幸福な気持ちだったんだ。なぜだか、それはわかんない。
ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、回りつづけてる姿が、無性にきれいに見えただけだ。まったく、あれは君にも見せたかったよ。
死以外の終着地がないかと思われる、絶望の果てに射しこんだ、一条の光。
「堕落の淵」へとまっしぐらに向かっていたホールデンは、ギリギリのところで救われました。
社会を拒絶し、「ライ麦畑のキャッチャーになりたい」と幻想していた自身が、フィービーにキャッチされることで。
子どもから大人へと成長する過程で、社会のすべてが敵に思えることがあるけど、どこかで、自分にとってのキャッチャーが、見守っていてくれるのかもしれません。
しかし、この作品でも、もし、クリスマスシーズンからはずれた時期で、回転木馬が休業中だったとしたら…。もし、雨がもう少し早く降り始めていたとしたら…。
ちょっとしたタイミングの違いで、キャッチャーが、取りこぼしてしまうこともあるのかもしれない。
そんな、一瞬々々のバランスの中で生かされている私たちの人生、運命の過酷さも考えさせられた結末でした。
なお、単行本の表紙の絵は、ピカソの「FAUNSKOPF」という作品ですが、これは 白水社のUブックスシリーズに共通して使われている絵です。