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バラエティー豊かなロシア料理を楽しんでいたら、隣席のマダムと意気投合した。

1493年、モスクワ大公国の統治者イヴァン3世が、自らの居城であるクレムリンの前の市街地を整理させました。そして17世紀後半には広場として整備され、「赤の広場(クラスナヤ広場)」と名付けられたました。なお、「クラスナヤ」はロシア語で「赤い」を意味しますが、古代スラヴ語では「美しい」を意味することから、「美しい広場」が原義に近いといわれます。
「赤の広場」南側に建つ「ワシリー寺院」。イヴァン4世 (雷帝) が、カザン・ハン国 (モンゴル) との戦勝記念に築造、1561年に完成しました。
あまりに美しい出来であったため、イワン雷帝は今後これ以上の建築物が出来ないよう、設計者の目を潰したといわれます。

イヴァン4世の残虐な独裁性を伝えるエピソードですが、実際には大聖堂の完成後も、設計者は他の建造物をデザインしていた記録が存在することから、あくまでも伝説とされています。

大聖堂の完成当時、イヴァン4世の国内における治世はまだ穏やかなものであり、オプリーチニナ制に代表される恐怖政治はまだ開始されていませんでした。

 

 

市街地西部の「マトリョーシカ博物館」
生産者団体によって運営される、こじんまりとした博物館ですが入場無料(当時)で、マトリョーシカを割安に購入することもできました。
2019年現在の情報によると、写真の建物から、近くの別の場所に移転したようです。新館に対しては、「場所がわかりずらい」「規模が小さい」との従来からの評価に加え、「内容の割に入館料が高い」との声が加わっています。

レストラン「ゴドノフ」でアーリィディナーを楽しむ予定でしが、開いていなかったため、レストラン「hinkali」に変更。
隣の席でウォッカを煽っていたマダムが、ロシア料理の食べ方をレクチャーしてくれました。


魔法使いのようなマダムたちと記念撮影。
ロシアの餃子「ペリメニ」。後に世界食道初期の看板メニューになりました。

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