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開放的なロシアの裏の顔。KGBに捕まってシベリアに送られそうになった

本日はキエフを発ち、アエロフロート航空でモスクワに向かいます。

早朝に「ホテル ドニーブロ」を出て、ボリスビリ空港でのチェックインもスムーズに進み、上さんは免税店に入り、私は店の前で携帯でメールをチェックしていた時です。「ミスター・オークボ?」と、低く押し殺した声がしました。

顔を上げると「ゴルゴ13」に出てきそうな、眼光鋭い細身の男が立っています。

反射的に「イエス」と答えると、「俺と一緒に来い」みたいなことを言いながら、かぶりを振りました。

有無を言わさぬ態度に圧倒されて、足は勝手に彼の後をついていこうとしますが、「上さんに言っておかなければ」と、脳ミソが「待った」をかけます。

「友だちと話したいんだけど」と、KGB風の男に申し出るも「ノー」とピシャリ。ツカツカと大股に歩いて行く彼の後を、蛇に睨まれた蛙のように、私はついて行きます。

空港二階のロビーから非常階段を降り、ガランとした一階のフロアに連れて行かれました。


自分の置かれている状況は全く分からないのてすが、何だかとてつもない陰謀に巻き込まれている気がしてきて、「何か抵抗を試みなければ」と、携帯でこっそり周囲の状況を隠し撮りしました。取調室で拷問を受けている自分の姿がちらついて、カメラがブレています。

テーブルの前で男は止まり、「この荷物はお前のものか?」と、くたびれたリュックサックを指さしました。まさしく私の荷物です。「イエス」と答えると、「中身を出せ」と男。

「ああ、たぶん中からは、身に覚えのない、白い粉が詰まった熊のヌイグルミが出てくるんだ」

私は、冷たいシベリアの留置場に送られるのだと、観念しました。

震える手で荷物を一個ずつテーブルの上に並べていくと、男がいきなり荷物の一つを掴み取ります。

それは携帯用の、シェービングクリームの小さなスプレー缶でした。

これがどうやら、得体の知れない危険物らしきものとして、センサーに引っかかったようです。

男はスプレー缶を没収すると、私を出口に案内して扉を開け、「もう行っていい」という仕草をしました。

二階のロビーに戻り、免税店の前でキョロキョロしている上さんの姿を見つけた時、私は本当に、その場にヘナヘナとへたり込みそうになったのでした。

07:00 キエフ 発

09:35 モスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港 ターミナルD 着

10:30 高速鉄道 アエロエクスプレスで空港 発

11:05 ベラルーシ駅 着

モスクワなのに、ベラルーシ駅・レニングラード駅・キエフ駅などがあります。ロシアでは、列車が向かう目的地を駅名にすることが多いためで、たいへんややこしいです。

東京に大阪駅があるということですから。

さらに混乱するのが、目的地名を駅名にするというルールが破綻してきていること。

 

1日に列車が1本といった時代はよかったのでしょうが…。

日本でいうなら、東京の大阪駅が始発の、青森行き新幹線が開通したようなものですね。

 

駅正面を右に出て、1ブロック進んでまた右に折れ、地下鉄ベラルースカヤ駅へ。カッサ (係員のいる窓口) で10回分の回数券を購入します。回数券はテレホンカードのような名刺大の紙で、読み取り機にかざすと残回数が表示され、改札のランプが赤から緑に変わり、通過できます。

モスクワの地下鉄は、1935年の1号線開通以来拡張を続け、現在は12路線、196駅、327km (東京とほぼ同じ) に及びます。

車内放送は、郊外から市中心部に向かう列車は男性の声で、中心部から郊外に向かう列車は女性の声(環状線では右回りが男声、左回りは女声)でアナウンスされます。

英語表記はたまに見かける程度で、乗り換えは分かりづらいです。「赤の広場」近くに位置する「ホテル ブダペスト」を目指し、チアトラーリナヤ駅に向かう地下鉄2号線に乗るつもりが、環状5号線に乗ってしまいました。


しかしモスクワの人々は優しく、ガイドブックを広げて思案していると「Can I help you?」と、たびたび、特に若者から声をかけられました。英会話を実践してみたい、という気持ちもあるのかもしれません。

 

ロシア人というと、厚いコートを着てロシア帽を目深にかぶり、眉間にしわを寄せてニコリともせずに歩いているイメージが浮かぶのですが、大きく誤解していました。

政治的な差はあるだろうけど、個人レベルでは全くそれは感じられません。

固く閉ざされた扉の内側では、誰もが自由に生きていた (と、このときは感じていたのですが…)

 

 

廃園になった遊園地をマーケットに改装した「ヴェルニサージュ市場」。モスクワ北東部に位置し、地下鉄3号線・パルチザンスカヤ駅から徒歩5分。

看板のキリル文字をローマ字に変換すると「VERNISAZh」 прямо (ペルヤモ・ローマ字表記 pryamo) は、「straight, direct, right」 の意味。
スラヴ人が用いるキリル文字は「表音文字」であり、「P ・H ・C 」はそれぞれ、「エル・エヌ・エス」と発音し、ローマ字の「R・N・S」に当たります。

スラヴ人はインド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す民族で、東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)・西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人)・南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)に分けられます。

 

市場には、マトリョーシカやアクセサリーをはじめとした職人手作りの商品が並び、土産品の買い出しには最適。バリエーション豊富な大統領グッズなど、見るだけでも楽しめます。

一方で、「わざわざ金出して買うほどでもないガラクタばかり。銃器まで売っているので、日本へ持って帰るルートがある方はどうぞ」とのレビューも。

街の業者が買い付けに来る毎週水曜日、商品が安く賑わっています。そのほかの平日は閑散としており、開店率は1割程度。

 

地下鉄6号線に乗り換え「ヴェー・エヌ・ハー」駅で下車、「宇宙飛行士記念博物館」に向かいます。

モニュメントが印象的な博物館、「モスクワ・コスモミュージアム」とも呼ばれ、ユーリイ・ガガーリンが地球の軌道を周回した日から20周年にあたる1981年4月に開館されました。

館内では、人類初の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンが使用したSK-1宇宙服・ソユーズ宇宙船など、宇宙に関連した貴重な資料が展示されています。

「地球は青かった」で知られるガガーリン。少年時代の数学の教師がパイロットとして従軍したことに影響を受け、工業学校でエアロクラブに入り、徐々に飛ぶことの楽しさにとりつかれるようになります。

折りしも1960年代、宇宙開発が本格的に始まったことに伴い、宇宙飛行士の選抜が始められました。

工業学校を卒業後、空軍士官学校に入ったガガーリンも、20人の候補生の一人に選ばれます。

そしてガガーリンは、世界初の有人宇宙飛行のパイロットとして決定されました。

選考にあたっては、労働者階級出身の英雄という点を強調しやすい生い立ち、小さなボストーク宇宙船への乗船に適する158cmという身長、優秀な訓練結果だけでなく、それらが決め手になったといいます。

1961年4月12日、ガガーリンは宇宙飛行に成功、大気圏外を1時間50分弱で1周し、ソ連領内の牧場に無事帰還しました。
一躍「時の人」となり、宇宙計画の広告塔の役割を担うことになったガガーリンですが、激変した環境に馴染めず、アルコール依存症に陥ったといわれます。

そして1968年3月27日、墜落事故で死亡。享年34。

 

昼食はやはりボルシチ。鮮やかなルビー色。

 

 

ホテルへ向かう地下鉄での出来事。

二人の若者が車内で何やら叫んで気勢を上げていました。
ちょうど私たちの下車駅に着いたので列車を降りると、入れ違いに機動隊がドカドカと車内に乗り込み、力づくで若者たちを引きずり出しました。

そして殴る蹴るの暴行を加えると、そのまま連れ去ってしまったのです。

今朝の空港で、荷物の所持者をすぐに特定した点といい、気付かぬところで市民は監視されているのかもしれません。

予想と違った開放感たっぷりのロシアに浮かれ気分でしたが、闇の部分に触れたようで、背筋がスーッと冷たくなりました。

聞けば、プーチン大統領は1952年10月7日生まれで、今日は彼の誕生日だそうです。

地下鉄内の若者はたぶん、大統領に批判的な発言をしていたのでしょう。

 

大統領も誕生日にはプレゼントをもらうのかなと、帰国後にネット検索したら、過去にはこんなプレゼントを贈られていたようです。

ロシアの「飛び地」、ヨーロッパにあるカリーニングラード州からは、ダチョウのたまご。

でかいです。イースターの細かい装飾が施されており、とてもロシア的です。

州知事からの「カリーニングラードの問題(安全保障、ビザ問題等)を忘れないで。卵が暖かいうちに解決してね」との要望つき。

モルドバ大統領からは、ワニ。なぜならワニは唯一、後ずさりしない動物なのだそう。プーチン大統領にぴったりですね。

ウクライナ大統領からは、豪華な日時計。

その文字盤には天文地図が描かれ、「我々

の精神を高めてくれるものは2つある。我々の上にある星空と我々の内にある道徳心だ」と刻まれているそうです。これはドイツの哲学者カントの言葉で、KGB勤務時代に東ドイツへ派遣されていたプーチン大統領への配慮が感じられます。

 

今日が大統領の誕生日だと、教えてくれたのがこちらの女性。

彼女の名前はスベタさん。

「スベトラーナ」の愛称なのでしょう。

上さんに「スベタと会って来る」と言ったら、腹の皮をよじって笑ってました。

 

出国前に友人が、ロシアに住む知り合いのスベタさんに連絡を取ってくれたところ、ミュージシャンでもあるスベタさんが、仲間のコンサートに私を招待してくれたのです。

コンサートはモンゴル音楽です。

スベタさんの友人と

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