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悪名高きボリビア国境を越えて、異様な光景のラ・パスへ

今日はペルー・プーノからボリビアに向かう予定だが、ボリビアの国境越えに、昨夜から不安を募らせている私。

【以下は「地球の歩き方・ペルー 06版」p.404の抜粋」
「南米の国境管理事務所でトラブルを起こす旅行者は少なくない。

一番多いのは入国税というお金を要求されること。たいてい払わざるを得なくなる。

平均3USDくらいだが、同じ国への入国でも、国境や人によって金額が違っていることも。

このへんが入国税のフシギといわれているところだ」

「所持金を持つているか聞かれる場合、これは、その国に滞在するだけのお金を持つているかということなのだが、この際大量のキャッシュは見せない方がいい。

あとで入国税などと称して手品を見るようにお金が減る場合がある。少額現金とトラベラーズチェックのみ見せよう」

何だかボンヤリした表現だが、入国税は係官の裁量一つで決まるようなのだ。

 

手元に現金は10PEN(340円)と200USD、200EURあるが、入国税の支払いに100ドル紙幣を出してお釣りが戻って来ないことも大いに考えられる。

とはいえ、10年以上前の「地球の歩き方」の記述なので、昨夜、宿の主人に「明日ボリビアに向かうのですが、入国税は必要ですか?」と最新情報を確認してみた。

すると、「必要なんだけど、いくらだったっけなあ」と、これまた曖昧な返事。

 

いずれにしても、幾ばくかのペルー通貨をキャッシングしておこうと思い、部屋に戻って外出の支度を整えて再びロビーに下ると、先ほどの主人が「日本人は入国税を払わなくてもいい」と前言撤回してきた。
「日本人は」という言い方に、モヤモヤ感は募るばかりだ。

さらに、ネットで情報収集しているうち不吉なブログに行き当たった。

 

【以下引用】「僕はボリビアに早めに行きたい気持ちがあって、今回はチチカカ湖観光は諦め、クスコからラパスの直通バスに乗ることに。

(私はクスコのバスターミナルで『ラパスへの直行バスはない』と言われたので、プーノまでのチケットを購入した。クスコ市街の旅行代理店では、ラパス直行便を扱っているのかもしれない)

バス国境でどのルートを通るのかも確認せずに、選択肢の中で一番安かったバスに乗ることにした。

乗車してからしばらくしてから気がついた!

なんとこのバス、デサグアデーロ経由だった!

これはまずい!!

なにがそんなにまずいのかって??

実はこのデサグアデーロという国境、日本人ツーリストの間では非常に悪名高い国境なのだ。

国境の荷物検査の係員が非常に悪いやつららしく、日本人旅行者と見るや別室に連れ込み、何人もの係員でもみくちゃにして、何がなにやらわからない間に現金やらカメラやらの貴重品を盗んでいくのだ。

非常に巧妙な手口なため、普通はイミグレを出るまで気づけない。

 

仮にもしその場でそれに気がついたとしても時すでに遅く、盗んだ係員はいなくなっており、残った係員は知らぬ存ぜぬの一点張り。

国境なので係員に余りに逆らうと入国できないし、酷い場合には拘束されることもあるので、多くの旅行者が泣き寝入りするのだとか。

恐ろしい」

 

ペルーからティティカカ湖畔経由でボリビアに入国するには二つのルートがあるが、上記はそのうちの一つ「デサグアデーロ」ルートに関する記述だ。

いったいボリビア入国に何が待ち受けているのか見当もつかないが、私のルートは安全とされる「コパカバーナ」ルートであるし、上記のブログも結局は「拍子抜けするぐらいあっけなく、僕は何事もなく越えることが出来ました」と締めくくられているので、現金を内ポケットに分散させるくらいの対策を取ることにして、キャッシングもしないで昨夜は床に就いたのだ。

 

07:00に宿を出て、予約しておいたタクシーで長距離バスターミナルに移動。

長距離専用のターミナルのせいか、昨日の到着時もそうだったが、ターミナル内部は閑散としている。

昨日、ラパス行きのバスと宿を手配してくれた「アミーゴ氏」の旅行代理店も、まだしっかり扉の鍵がかけられている。

そういえば、アミーゴ氏の名刺をもらってなかったなあ、いざバスに乗車しようとしたら、予約ありませんなんて言われたらどうしよう、などと自分の不甲斐なさを少々恥じつつあたりを見まわすと、一つだけ灯りがともっているブースがある。
ガイドブックに「ボリビアではバスターミナル使用料がかかる」とあったが、その支払場所らしい。

1.5BOB(25円)を支払うと、親指の頭ほどのシールをチケットに貼り付けてくれた。

建物を出てバス乗り場に向かう。テーブルを並べて受付しているバスがあったのでチケットを見せると、私が乗るバスとのこと。

 

受付でパスポートナンバーを記入して、ボリビア入国書類を受け取る。

バスの席に座って書類に目を通すと、非常に細かい文字が並んで読みづらい。

「書類の不備を指摘して『まきあげ部屋』に連れ込めるよう、わざと書き難くしてあるに違いない。これは周到に張り巡らされた罠だ。だが、その手には乗らないぞ」と思い、揺れる車内で書くのは相手の思うつぼなので、発車前に記入することにした。

事態はボリビア政府との頭脳戦の様相を呈してきて、私の頭の中では「ミッション・インポッシブル」のイントロが流れ出した。

 

記入を進めるも「入国経路の飛行機船舶の便名」の欄で行き詰まる。受付のスタッフに聞くとバス車体を指さすので、バスの腹に毒々しくペイントされている「titicaca tour」と記入した。

 

08:00バスが発車。

商業航路を持つ湖としては世界で一番標高が高い地点にある「ティティカカ湖」を左側に見ながら、景色のいい道を進んでいく。

雲にタッチしそうな湖面

09:40 ペルー側にある国境の町「ユングーヨ」で15分ほど休憩。

道路沿いには両替所・トイレ・軽食販売所が並んでいる。

ペルーで使い残した10.5PENを両替所のカウンターに差し出すと、21BOBになって返ってきた。

休憩を終えてしばらく走ると再びバスが止まり、全員が降ろされ歩き始める。

ペルーのバスはここまで。

いよいよボリビアへの国境越えだ。
国境のペルー側は一大マーケットとなっており、日用雑貨品が道路に所狭しと並べられ賑やかだ。

人の流れに乗って進むと、一緒のバスに乗っていたアジア人男性の姿が前方に見えたので、声をかけると日本人大学生との返事。

夏休みを利用して、南米を一か月かけて放浪しているとのこと。

初の海外旅行だということだが、度胸がある。

ダラスを発って以来、日本人と会うのは初めてで、久しぶりに出会った耳に優しい日本語。

私ってこんなにお喋りだったのかと思うくらい、堰を切ったように口が動く。

自分の感情や考えを他人に伝えることのできる「言葉」の有難さをしみじみ思う。

ところが、なのである。気持ちは喋りたがっているのだが、言葉がスムーズに出てこない。

あれれ、日本語を忘れちゃったのかな、と一瞬ひるんだのだが、そうではなくて酸素が薄くて息切れしているのだ。
今朝出発したプーノの標高は3855m、これから向かうラパスは3650m。

こりゃあ、ボリビアで歌手や漫才師になるのは大変である。

 

息を切らしながら人の波に乗って歩いていくと、左側でバスの係員が手招きしている。

まずはペルーの出国手続きを行うようだ。

オフィス内でパスポートを提示してスタンプを押してもらう。

難なく通過。

再び人の波に乗って行くと、国境のシンボルなのだろう、半円形の大きな石のアーチをくぐると、そこは既にボリビアであり、ガラリと雰囲気が変わる。

それまでオレンジや赤の縞模様のショールをまとった女性たちの服装が、襟飾りをあしらった白いブラウスと山高帽に変わっている。

男性は一様にカッチリとした黒いスーツに黒い山高帽で固めている。

何かのイベントなのだろうか、ブラスバンドが奏でるマーチが響き渡り、民族衣装をまとった女性たちが輪になって、クルクル踊っている。

道の脇には、何やら肉をジュージュー焼く屋台が並び、香ばしい匂いが漂っている。
今日は何かお祭りなのだろうか、それとも毎日こんな雰囲気なのか不明だが、ウキウキした気分でずんずん歩いて行くと、白人女性に「私はどのバスに乗ったらいいのかしら?」と呼び止められる。

「質問に質問で返せと、学校で教わったのかぁっ」と吉良吉影には激昂されそうですが(意味不明ですね。楽屋落ちでスミマセン)、「あれ、もうボリビア入国の手続きは済んだのですか?」と逆に尋ねると、「イミグレーションのオフィスはとっくに通り過ぎていますよ」とのこと。

これでは不法入国である。

ペルー・ボリビア間を現地の人々が行き来する場合は、身分証明書の携行のみで入国できるが、こうした現地人に混じって、外国人が手続きなしで入国してしまうことが少なからずあるらしい。

パスポートに入国スタンプが押印されていないと密入国者として取り扱われ、出国手続きに1ヶ月以上を要することになるうえ、国外退去処分での出国になる。

慌てて今来た道をとって返すがオフィスらしきものは見当たらず、パレードの警備にあたっている警官に尋ねると、ボリビア側に向かって進み、左に曲がれと、手振りで示してくれた。

 

言われたとおりに進むと左手に、道路から一段下がった奥まった一角にオフィスがあり、前庭で欧米人たちが談笑している。彼らの輪をかいくぐり建物に入ると、すぐ目の前にカウンターが並んでいる。

パスポートと入国書類、税関申告書をおずおず差し出すと、係官はろくに書類には目を通さずに、派手な音をたててパスポートにスタンプをパァンと押して、入国書類と税関申告書の控えとともに面倒くさそうに返してよこした。

あれ、これだけ?せっかくドル紙幣をベストのポケットに隠したのだから、財布くらいチェックしたらどうなの、と思いつつ、辺りを見渡すと一番左の窓口で白人女性たちが紙幣を握り締めて、何やら申告している。

ははあ、ここで所持金額の申告手続きを怠ると、あとでがっぽりペナルティーを課せられるという仕組みだな、と合点しながら「何の手続きですか?」と彼女たちに尋ねると、ビザの申請とのこと。

 

日本人は90日以内の滞在ならビザ不要なので、特に手続きの必要はない。

あれほど心配した国境越えの手続きはあえなく完了。

「大山鳴動して鼠一匹」という小難しい熟語を、人生で初めて使用した瞬間であった。

 

11:00、ボリビア側に待機していたミニバスに乗り換え、30分ほどでコパカパーナに到着。

13:30にラパス行きのバスが出発するので、13:00に集合との案内がされる。

奥がティティカカ湖

ペルーとボリビアには一時間の時差があるので、時計を一時間進める。

30分ほど時間があるので、ティティカカ湖に向かう坂道を下り、途中で見つけた両替所で100USDを650BOBに交換する。

湖畔のレストランで、ティティカカ湖名物のトゥルーチャ(鱒)のレモン漬をつつきながら、バスに同乗していた日本人大学生とビール小瓶で乾杯、ボリビア入国を祝った。

トゥルーチャとビールで70BOB  (1120円)。   観光地価格です。

2階のテラス席の目の前には、蒼く澄んだ水をたたえるティティカカ湖が広がり、明るい陽光が降り注いでいる。

標高3890mの高地に琵琶湖の14倍の広さを持つこの湖は、古代インカの伝説に彩られた聖地でもある。

「太陽の神」は地上の人々に文化を与えるため、初代インカ皇帝となるマンコ・カバックとその妹ママ・オクリョを遣わせたが、彼らが降り立ったのが、湖の南東に位置する「太陽の島」だという。

島へのボートツアーの拠点となるのがコパカバーナであり、市街地にムーア様式 (ムーア人によってもたらされたアラブ・イスラム文化と、キリスト教・ラテン文化が融合した様式) のカテドラルを持つ湖畔の町には、多くの巡礼者が訪れるという。

リオデジャネイロの海岸地帯が有名な「コパカバーナ」という名は、アンデス神名の “Copakawana”に由来し、ギリシャの女神アフロディーテあるいはローマのヴィーナスに相当するとのこと。

 

ゆっくり観光したい町なのではあるが、今は先を急がねばならない。

ラパスへ向かう道路は途中、ティティカカ湖とウイニャイマルカ湖を結ぶ幅0.5kmほどの水路で分断されており、ここはバスを降りて渡し舟で渡ることになる。

ツアー料金には含まれていないということで、舟代2BOBを支払って対岸に渡り、バージ (貨物を運搬する小型船) に載せられて湖を渡ってくるバスを待つ。

こうした経路を通るため、コパカバーナ経由の国境越えは時間がかかる。

デサグアデーロ経由であれば、昼過ぎにはラパスに到着するそうだ。

湖を離れ、バスは荒涼とした地をひた走る

16:00過ぎ、すり鉢状の斜面に家々が立ち並ぶラパスの街が、忽然と姿を現した。

機械の部品で作られたモニュメントが建つ交差点

斜面の多いラパスではロープウェイが市民の足となっており、その駅の付近を通過したのでバスの終点も間近かと思ったのだか、バスは斜面を上って町を見下ろす高台の道路を走り、予定時刻どおりの17:00、バスターミナルに到着した。


時間調整のために街の周囲を走行したわけでもないだろうが、しかし、車内から見たラパスの街並み、その後方で雪を頂くイリマニ山(6402m)の神秘的なたたずまいは、これまでに見たことのない異様な印象を持って目に飛び込んで来た。

76万の人口を抱える、一国の首都だとは、にわかに信じ難い。

非常に興味をそそられる町なのであるが、ボリビア東部の町、サンタ・クルス行き19:30出発のバスに乗ることにした。

ス代は120BOB。クレジットカードは使えない。

 

互いの旅の安全を祈り、日本人大学生と握手を交わす。

ラパスの混沌とした雑踏に、彼の後ろ姿はかき消されていった。

 

サンタ・クルス行きのバスは、定刻の一時間遅れでようやく出発。

出発前に係員が乗り込んできて、バスターミナル使用料2BOBを徴収していった。

ターミナルから出た途端、山の斜面を覆うラパスの夜景が、バスの車窓いっぱいに広がった。

乗客の一部から(私だけだったが)、歓声が上がる。

「降ろして。やっぱり一泊していきます」と叫び出したい衝動をこらえ、ありもしない後ろ髪を引かれる思いの私などお構いなく、バスは夜のハイウェイに向かって速度を上げていった。

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