おしゃべり英語術

著者 : 平野 次郎

1980年から、同局の情報番組『海外ウィークリー』にテレビ出演、幸田シャーミンとともに番組の進行を務めた。

 

「初めに手紙が届いた。

水くきの跡も何とやら、という感じのきれいな筆跡だった。

差出人は女の人だった。

次に電話がきた。東京からの国際電話だった」との書き出しで、始まる本書。

 

電話の内容は、英語の本に関する執筆依頼。それを受けて書かれたのが本書である。

 

日本の英語教育の弊害

日本人の英語発音が、相手に聞き取れないことについて筆者は、こう分析する。

「小学校のローマ字授業で、子音も母音も書いてあるとおりハッキリ発音するよう教えられていたのが、頭の中にどうしても残っている」

 

 

こんなこともあった。

アメリカ人の学生たちが、ひとかたまりになって談笑しているところを通りかかったとき、その中のひとりが私にこう言った。

Why don’t you come over?

「なぜ、お前はここに来ないのか?」と聞き取った私は、何と答えるべきか考えた。

「先を急ぐから」か。いや、そうではない。「彼らと英語だけで話すのはしんどいから」だろう。しかしあからさまにそう説明するわけにもいかない。

こんな自問自答が頭の中を駆け巡ったあげく、私の口から英語が出た。

「Because…」

その瞬間、相手はキョトンとした顔をした。

「Why don’t you~?」は「~しませんか」という誘いの常套句。

私の受けた英語教育の中に、「Why で始まる質問には Because で答えよ」という意識もあって、来ない理由を問われていると勘違いしたのだ。

 

変てこな、日本人の英語

「象は鼻が長い」を英語に訳すと。

Elephant is nose long .

これが日本語の文章に忠実に訳した英文である。

意味はわかるが、英語としては文法的に正しくない。

 

英語風の文章にすると

Elephant is long-nose animal .

つまり「象は鼻が長く伸びた動物だ」になる。

animal という、隠れた単語が出てきているのだ。

 

外国で日本人同士、レストランに入ったときなど、こんな状況になることがある。

What would you like to order?

I am beefsteak.

「僕はビフテキだ」は、本当は「僕の注文は、ビフテキだ」ということ。

英語で表現する場合には必要不可欠な言葉が、日本語の文章では隠れてしまっているのだ。

 

鏡を使って発音を練習

「早くサミュエルソンの Economics を小脇に抱えて街を歩きたいな」と夢見ていたころの著者。

「英語の本は読めても、相手の言っていること聞き取れず、こちらのいうことも相手に理解されない」という、オーラルコミュニケーションが、ゼロに近かったという著者に、光明を与えてくれたのが、言語学者の Robert Gerhard 氏。

大学で氏の講義を受けることになった著者。

「husband の発音は、ヘズバンドではなくハズバンド。あなたの hu がどうして [ə] でなくて [æ] になるのか、鏡で口の中をのぞいて、舌の位置と唇の形をよく見なさい」と氏に言われ、鏡を渡された。

「なるほど、鏡を見ながらヘズバンドと発音すると、唇は横に広がり、舌の先は少し上がって軟口蓋に近づくが、これをハズバンドと発音すると、唇はそうヨコに広がりもせず、舌の位置も少し下がる」と、著者は鏡を使う効果を説く。

 

重要なのは、基礎構文と応用の繰り返し

筆者が薦める英語教材は「The New Art of English Composition」

この本を書いたA.B.メドレーの考え方は「言葉を覚えるためには、基礎構文と応用の繰り返しが重要」というもの。

 

たとえば「How often do you take bath a week?」という構文の、How often は How many times に置き換えることができる。

同じように、take a bath は、go to school に置き換えることができる。

さらに you を「あなた」以外の人物に置き換えることができる。

How often dose she take a bath?   でもよい。

She take a bath twice a day. という答えが返ってくれば、随分オシャレな女性だろうなと思う。

do you を did you や will you にするなど、応用には限りがない。

 

 

こうした練習が発展すれば、「短い文章を長くするときは、who とか which とか that とかの関係代名詞を入れて、複数の文章をつなげればよい」と気づく。

逆に長い文章でまわりくどく感じれぱ、複数の文章に切ればよい。

「いったんコツを覚えてしまえば、あとは簡単であり、また楽しくもあった」と著者は振り返る。

 

 

言葉は階段

著者は言葉を覚える過程を、「坂道をのぼるのではなくて、階段を上るのと同じ」と比喩する。

「しばらくは平らで、平らなところの終点にくると、ポッとあがる。

上の段に上がるのには時間がかかるし、進歩していないと思いがち。

しかし、いったん上の段に上がったら、身を置く場所が平らだから、元の段に落ちることはない。

坂道を上っている車がエンジンを止めてブレーキをはずせば後戻りするが、平らな場所では後戻りしないのと同じ」

と、言語習得の極意で本書を締めくくった。

 

主語と主題

本書に引用された「象は鼻が長い」という文は、言論学者である三上章氏の著書名にもなっている。

以下は、その書の要約。

 

「象は鼻が長い」
「私はうなぎだ」
「こんにゃくは太らない」

これらの文の「主語はどれ?」という問題提起。

 

三上氏の持論は「日本語には、主語ないんですよ。主語を抹殺したんですね」

 

名詞の後に「は」がつけば、主語であると覚えてしまっていた可能性があるが、それは正確ではない。

 

「象は鼻が長い」という文章を、正確に(まわりくどく)表現すると、「象に関して言えば、鼻が長いことが特徴である」となる。

 

「は」には、主語提示だけでなく、「主題」提示の役割も果たす機能がある、ということ。

そして、主題を提示することで、主語を表わさない文が、日本語には数多くある。

 

なお、名詞の後ろに「が」がつけば、それはかならず「主語」になる。

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