一日の終わり、気持ちに残尿感を抱くような、夜もある。
そんなときは、いっそ大泣きしたほうが、スッキリするじゃないか。
ストレスを感じる時は交感神経優位の状態で、自律神経のバランスが崩れているらしい。
泣くことは、口では言い表せない感情を伝える、身体からの言葉。涙を流すことで副交感神経のスイッチが入り、ストレス解消につながるそうです。
そこで、泣きたいとき、私が読む漫画ベスト3、第三位がこれ。
ブラックジャック 第65話「おばあちゃん」(1975年9月8日)
医師免許を持たない天才外科医、ブラック・ジャックの活躍を描く、当時としては異色の、医療現場を舞台にした1話完結形式の漫画。
「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)にて、1973年11月から1978年9月にかけて連載後、不定期に13本を発表、1983年10月に完結。
「ドカベン」「がきデカ」「マカロニほうれん荘」らとともに、週刊少年チャンピオンの黄金時代を支えた作品です。
全242話のうち、私が最も好きなのが、チャンピオンコミックス第7巻に収録されている、この作品。
ある暑い夏の日、車がエンストして困っている夫婦に、偶然出会ったブラックジャック。
夫婦の家まで、乗せて行くことに…。
男「甚大先生を、ごぞんじですか」
B・J「知りませんな」
家に着くと、夫婦はお礼がしたいといい、半ば強引にブラックジャックを家に連れ込みます。
家には男性の母親である、おばあちゃんがいました。
息子「おかあさん、このかた、お医者のブラックジャック先生だよ」
ブラックジャックが帰った後、お小遣いを息子夫婦にせびるおばあちゃん。
どうやら毎日、お金に関する口論が絶えないようです。息子「もしかしたら、宗教団体にでも寄付してんのじゃないか」
一方、甚大医師に興味を引かれたブラックジャック。
甚大医師の家を訪ねるブラックジャック。
クセのありそうなおばあちゃん、医師の妻然とした老婦人など、最小限のペンタッチでありありと描写する。肖像画でさりげなく亡き人を登場させる。
さすが、漫画の神様と呼ばれる手塚治虫。
B・J「この世に、わたしぐらいがめつい人間はいないと思いましたがね。甚大先生はまったくわたしとおんなじ型の人間ですね」
甚大夫人の意味深なセリフを残し、場面は再び、おばあちゃんの家に…。
撤去された看板が、背景に描かれています。そこには「内科・小児科」の文字が。
それぞれの人生が、一つの接点で結ばれる瞬間。
ニーマン-ピック病は、コレステロールや脂質が細胞内に蓄積することで、神経系の異常を起こす病気。日本での罹患率は、10万人あたり0.5人-1人。
遺伝性疾患の一つで、両親がともに異常な遺伝子のコピーをもっている場合、小児は通常2~3歳までに死亡する。
偶然、ブラックジャックたちの会話を聞いていた男性。
母親のあとを追いますが…。
返済の肩の荷が下り、気が緩んだとたん、大脳に出血を起こして倒れた母親。
ブラックジャックは、甚大医師の手術室に、母親を運び込みます。
ひるむ男性。
どうする…!?
こんなエピソードを、毎週、しかも「三つ目がとおる」「ブッダ」「火の鳥」「ユニコ」「MW」という連載を抱えながら描いていた手塚治虫、恐るべし。
「おばあちゃん」と同じく第7巻に収録されている、第61話 「ハローCQ」も味わい深い。
筋ジストロフィーで、車椅子生活を余儀なくされている少年。
唯一の楽しみは、アマチュア無線でニュージーランドに住む青年と交信すること。
絶対に会うことはないと考えている少年は、自分は少年野球の名選手だという、噓のプロフィールをでっち上げる。
ところが、青年が日本に来ることになって…。
本当の自分を見られることを怖れた少年は、青年に絶交宣言してしまう。
失意の少年のもとに、ブラックジャックからオファーが。
それは、「手術代100円で、足を治してあげよう」という、意外なものだった。
困惑する少年に、ブラックジャックは説明する。
少年の足の手術代を負担する人物がいる、と。
現れたのは…
青年も嘘をつきながら、交信していた。
来日したのは、ブラックジャックの手術を受けるため。
エピソードのエンディングとして、大好きな一コマです。
2013年に「ブラックジャック誕生40周年」のメモリアルイヤーと題して、「あなたが選ぶブラックジャック」という投票が秋田書店により企画され、ベスト40が決定しました。
「おばあちゃん」は第6位に入っています。
なお第1位は、ブラックジャックが医局員だった頃の恋愛談をつづった「めぐり会い」(第50話) でした。