「僕の話、盗んでみませんか」 片山竜二

「いい話が大好きな、あなたに贈るエピソード」と、語る筆者はラジオのパーソナリティー。

ラジオ番組を宣伝するため、歩道橋に横断幕を掲げ、歩道橋から実況中継。いわば「見えるラジオ」を企画、「運転席でボタンを押し換えているのが、手に取るようにわかる」

かと思えば、「顔写真の入ったチラシをタクシーに配り、カーラジオを切り替えてもらう」というアイディアも。

さらには、「上下のジーンズに、ワッペンを鎧のように、しつけ糸で留めて、聴取者に一枚一枚はがしてもらう」という、体を張った企画。

月曜朝の番組で、元気な挨拶を強要する局に対して、「それはNHKのラジオ体操のかけ声ですよ。10人中9人までは、月曜の朝は嫌だな、と思っているんですから、聴取者と同じ心で語りかけるべきです」と反発、当時53歳の筆者は、「ラジオに憑りつかれた私は、歳が私の半分ほどのディレクターの後をついていくのではなく、山登りの先頭を歩くがごとく、険しい所を進んでいるつもりで、毎日マイクの前でしゃべった」と気概を語ります。

放送中、地震に見舞われ、「やかんが沸騰しているお宅はありませんか。すぐガスを止めてください」と反射的に叫んだら、聴取者から礼状が届いた、そんな体験を通し、「ラジオはこれだな」と実感したと言います。つまり「ラジオは生活に密着していなければいけないのだ」

各地の取材で出会った人々にも、思いを馳せます。

「今も飛鳥山を通ると、目の不自由な奥さんのことを思い出す。強い風雨の日は、ねんねこの中で雨に濡れていた坊やは、今いくつになつたのだろう、と思うのである」

自身の家族に対する思いも吐露します。

「掃除してくれたのは一郎ちゃんだよ、宣伝すれば、ますます掃除は一郎君の担当になる」と、褒めて育てる方針。

「尻は叩け、肩には手をかけろ。子どもが高校生になったとき、肩に手をかけ、話せる父親になりたい」との信念で子育てしたつもりが、妻がガンに冒されたときのことを回想します。

「重病の妻を抱え、夜中に取材のために山梨県まで出かけていく惨めさ。母の死期が目の前に迫っているのに、息子が無頓着で麻雀に打ち興じているのが、何とも悲しかった。親子といえども頼りになるものではないのだと、たまらない孤独感に突き放された。あのときから、私は息子が前よりは好きでなくなった」と、正直な気持ちを露わにします。

 

 

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