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仮面ライダーとアイアンキング。二人がリアル・ヒーローになって帰ってきた。

友達から「ジロジロ見ないで   “普通の顔”を喪った9人の物語」 (2003年・扶桑社)という本を借りました。この本に登場する9人は、それぞれ顔にアザや病気、火傷を負っています。辛い現実に向き合って生きてきた彼らの、この本はドキュメンタリーです。

9人の一人に、佐々木剛さんという役者が登場します。何となく聞き覚えのある名前だなあ、と思いながら読み進めるうちに気がつきました。彼が、仮面ライダー2号 = 一文字隼人 を演じた俳優だということを。
小学生時代、仮面ライダーには本当に夢中になりました。大人になってバイクの免許を取った時、オンロードではなくモトクロスバイクを買ったのも、競技スキーではなくモーグルにハマったのも、バイクでジャンプする仮面ライダーへの憧れが、記憶の奥底に染み付いていたからだと思うのです。

佐々木さんは1947年生まれ。撮影中のバイク転倒事故で重傷を負った藤岡弘 (仮面ライダー1号) の代役として、1971年に『仮面ライダー』に出演。劇中でとる「変身ポーズ」が爆発的なブームとなりました。
その後、時代劇や刑事ドラマで活躍していた1982年2月、佐々木さんは泥酔して自宅アパートに帰宅、ストーブをつけっぱなしで寝入ってしまい、その上にバスタオルが落ちて燃え広がり、大火災を引き起こしてしまいます。この火災で佐々木さんは全身の7割に及ぶ大火傷を負い、5度に及ぶ皮膚移植手術で一命は取り留めたものの、顔には俳優として致命的な傷跡を負うこととなりました。

(左) 1971年の変身ポーズ。当時私は9歳でした。 (右) 2014年の佐々木さん。

退院後は、治療・入院のための借金返済と生活維持のため、警備員、チリ紙交換、焼き芋屋、竿竹屋と職を転々とします。当時を佐々木さんは、本書でこう述懐しています。

「石焼きいもを売っていたとき、お客さんから『仮面ライダーに出ていた人ですよね』と聞かれたことがあった。オレは『よく似てるって言われるけど、その人、死んだんじゃないですか』と答えた。仮面ライダーが石焼きいも屋か…。自分で自分を死んだことにする以外、オレには生きる道なんてないじゃないか。
来る日も来る日もあびるように酒を飲んだ。本当に生きていることが、面倒臭くなっていった。そのうち、車の中で寝泊りするようになった。毎日目が覚めると、こう思った。なんだ、まだ生きているのか、と」

そんな佐々木さんに、俳優仲間であり親友の石橋正次が、舞台への復帰を誘います。
石橋正次といえば、特撮ヒーローもの「アイアンキング」で、アイアンキングに変身する霧島五郎 (浜田光夫) の相棒、静弦太郎(しずか げんたろう) を演じた役者ではないですか。

主役であるはずのアイアンキングはめっぽう弱く、敵をやっつけるのはいつも生身の人間である弦太郎、という異色の展開ゆえに、石橋正次のカッコよさにシビれたものです。

♬  霧の中からアイアンキンク゜~。いま見返してみるとツッコミどころ満載で、まさしく「アイア~ン・ショック」

石橋さんの誘いに応じて、佐々木さんは再び役者としての人生を歩き始めます。2012年には「ファンや芝居仲間のため」として、板橋区に居酒屋「バッタもん」を開業。自ら調理し、一人で店を切り盛りしているそうです。

本書を佐々木さんは、以下のように締めくくります。

「常識で考えたら、いくら仲が良かったとしても、生きることさえ諦めて、酒ばかり飲んでいるような人間は見捨てると思う。オレ自身、自分を見捨てていたんだから。それなのに、こんなオレを見捨てずに、役者に復帰しないか、と声までかけてくれた親友がいた。今もファンです、と言ってくれるライダーファンがいた。

今オレが、芝居やミュージカルの舞台に立つことができるのは、彼らのおかげだ。オレがすべきこと、それは彼らからもらった優しさを返すことだ。この先どれだけ生きていられるかわからないが、彼らの優しさを越えてみたいと思っている。それができない限り、オレが生きた証は残らないのだから」

カッコいいじゃないか。脚色があるかもしれない。真相は、この本の中とは別のところにあるのかもしれない。それは私には計り知れないことであるし、どうでもいいことじゃないか。

二人の生き方から僕が、生きる勇気をもらった事実が大事なのだから。夜道の闇に分け入ったり、ジャングルジムのてっぺんから飛び降りたりと、「恐怖を克服する勇気」を仮面ライダーからもらったのと同じように。

憧れのヒーローを演じていた二人が今、50年近い歳月を経て僕のリアル・ヒーローになった。

佐々木さんと同じく、辛い道のりを前向きに進もうと決心した人々が、本書には登場します。彼らの葛藤、そして彼らを力強く前を向かせた光とは何だったのか?

血管が集まってできる「単純性血管腫」により、生まれつき赤いアザを顔に持つ久保さん。就職活動もうまくいかない大学生の当時をこう振り返ります。

「社会に対する怒りを感じながら、一方で自分は何をしてもダメな人間なんだ、という思いは消えなかった。生きていてもしょうがない、と何度も思った。この世とオサラバするしかない。そんなことを考えながら、駅のホームに立っていると、線路に吸い込まれるような錯覚に陥ることもあった。

いっそのこと、電車が入ってきた時に、誰かが背中を押してくれれば楽に死ねるのに、とさえ思った。自殺をすれば、顔にアザを持つ人間を差別する社会に対して、何らかのメッセージになるはずだ、と。この時の私は、自分で自分をコントロールできないほど、追い詰められていたと思う」

しかし久保さんは、自分の知っている世の中なんて、案外ちっぽけなものじゃないのかと、考えを切り替えます。

「以前、私と同じように顔にアザがある人から、ニューヨークに住んでいたときの話を聞いたことがあった。『ニューヨークにはいろんな人種の人たちが暮らしていて、肌の色もさまざまなんだ。だから僕らを特別な目で見ないんだよ』と。
本当にそうなのか。私は、思い切って海外に行くことにした。いい大人が海外へ行くくらいで決断だなんて大げさ過ぎるよ。そう思う人もいるかもしれないが、私にとっては大きな決断だった。ニューヨークと同じようにいろんな人種が集まる都市ということで、シドニーに行くことにした。
あの噂は本当だったんだなぁ。シドニーに行って、私はそう感じた。東京では、いつも人からジロジロ見られて、ティッシュ配りの人も私が通りかかると手を引っ込めるのに、シドニーではイヤな視線を感じることはまったくなかった。

社会ののけ者だった自分が、一人の人間として、社会に認められたようにさえ思えた。すると次第に、驚いたり笑ったり、いろんな感情が素直にわいてきた。自分が自分でいられる。外に出て、あんな開放感を味わったのは、物心ついてから初めての経験だったと思う」

生後三ヶ月のときに掘りごたつに落ち、顔に火傷を負った益本さんも、小学生時代はイジメに遭いました。
「一度、地域の子ども向けの二泊三日の旅行に行ったことがあった。学校で友達が作れなかった自分は、この旅行で友達ができるかもしれない、と期待していた。しかし、そこでも自分はずっと仲間はずれだった。やっぱりな。どうせ自分は、どこに行っても友達ができない人間なんだ。こんなことなら、家でテレビを見ていた方がマシだった。そんなやり切れない気持ちになったことを覚えている。
火傷を負っていなかったら、今とは正反対の順調な人生だったはずなのに、と悔しくてたまらなくなる。けれども、自分は両親に怒りをぶつけたことは一度もない。ぶつけたくてぶつけたくて、気持ちが爆発しそうになるけど、その途端、そうしたところで火傷の傷がなくなるわけじゃないんだよな、と思ってしまう。怒りをぶつけたところで、何も変わらないじゃないか」

彼は中学生になると、気持ちを切り替えます。
「ちょっと待てよ。考えてみれば自分は小学校を一年遅れで入学したから、同級生より一つ年上だ。その分いばってもいいんじゃないか。何だかかんだと言ってくるヤツがいたら、熊本弁でまくし立ててやろう。
『オレとお前と、どぎゃん大きな差があっとか!』

実際、そう言い返すと、相手はビビッているようだった。そんな感じで自分の気持ちを表していくと、だんだんイジめられなくなっていった。そんなことが続くうち、自分のキャラクターを表に出すことができるようになり、友達が一人二人と増えていった」

全身に火傷を負った望月さんの場合、その発端は、高校の先輩に呼び出され、シンナーを缶からビンに移して持って来るよう、頼まれたことでした。

「あたりは暗く、ビンの注ぎ口がよく見えなかったため、友達は「これで手元を照らしておいて」と、私にライターを手渡しました。私は片方の手でライターをつけ、もう片方の手に持ったビンにシンナーが注ぎ込まれていくのを見守っていました。あともう少しでビンの中がいっぱいになる。私がストップと言おうとした、その時でした。ライターの炎がシンナーに燃え移り、まるでマジックのようにボッと大きな火柱が立ったのです。しゃがんでいた私をすっぽりおおうほどに。

一瞬、何が起きたのかわけがわからず、私は驚きのあまり腰を抜かしてしまいました。炎は洋服に燃え移っているというのに、パニック状態の私には熱いと感じる余裕すらなく、とにかく火元から離れなくちゃ、と考えるのに精一杯でした。私は全速力で走り出しました。走っても走っても、炎は私を追いかけてきました。

顔だけはヤケドしたくない!両手で顔をおおい、地面にへたり込むと、誰かにザバーンと水をかけられました。煙と焦げた臭いが立ち込める中で、私は真っ先に両親のことを思いました。ヤバイ、またヤっちゃった!迷惑かけちゃう!!明日のバイト、誰かに代わってもらわなくちゃいけないかも…。そんなことも考えました。同時に体が熱くなり、みるみるうちに皮膚が風船がふくらむように腫れていったのです」

繰り返される入院生活の中で、彼女は悶々と考えます。
「私は仲間を恨みました。絶対、私と同じ目に遭わせてやる! そこまで思ったことも、一度や二度じゃありません。自殺も考えました。微かな希望の光さえ見えない。来る日も来る日も、私は悩み続けました。

しかし、シンナーが原因で火傷を負った娘のせいで、親が世間の人から白い目で見られることが気がかりでした。本当にすまないことをした。その気持ちが、私を冷静にさせました。もしここで自分を見失ったら、世間の人からあんなバカなことをしたから痛い目にあったんだ、と思われたままになっちゃう」

10年間、悩み続けた彼女は、ある日偶然、中学時代の後輩と再会します。

「ほとんどの友達が火傷の話題を避け、遠慮がちに話すのに、祐歌ちゃんはあえて話題にしました。火傷で欠けてしまった私の指を見て『小さくて可愛いじゃん』と言いました。私は、彼女の言葉をどう受け止めていいのか戸惑いました。しかし、彼女なりに今の私を勇気づけてくれているようなきがして、救われるような思いになりました。
私は彼女と接していくうちに、昔のように心の底から笑ったり、本気で怒ったりすることができるようになりました。火傷を負ってからは、頼りになるのは家族だけでしたが、彼女に本来の自分を引き出してもらえたことが嬉しくて、火傷を負う前と後でプツリと切れていた自分の内面が、繋がっていくように感じました。
それからの私は、彼女に支えられながら、外出する機会が増えていきました」

気持ちの変化と同時に、就職に対しても望月さんは積極的に考えるようになります。
「長い入院生活の中で、私は看護師の方々の仕事ぶりに感動していました。いくら仕事とはいえ、他人の私のために、どうしてここまでしてくれるんだろう。その驚きは、だんだん憧れへと変わっていきました」

望月さんは、火傷が骨まで達したせいで何本かの指を失っていたため、指先の作業が多い看護師の代わりに、介護士をめざします。

「何度目の挑戦だったでしょう。私は、ある介護老人保健施設へ面接を受けに行きました。面接の最後に施設長は言いました。『今日はお互いの面接日です。あなたは私と話し、施設の中を見学し、それでもし働きたいと思ったら、電話をください』
火傷を負った私は、雇ってもらえるだけで満足。職場を選ぶ、なんていう贅沢なことは絶対にできない。そう思っていただけに、選ぶ権利をもらったことに、私は喜びをかくせませんでした。『ぜひ働かせてください』私が施設長に返事をしたのは、その晩のことでした」

三才のときにかかったおたふく風邪をきっかけに「レックリングハウゼン病」を発症した大木さん。左顔面が晴れ上がり、手術を繰り返します。
「『命にかかわる病気ではないので、これ以上手術はしないほうが良いでしょう』最後の手術の後で、医者は言った。その言葉を聞いたとき、僕は医者に見捨てられた、と思った。もしかしたら、珍しい病気の僕をモルモットにして、好き勝手に顔を開いただけんじゃないか。そう医者を疑った」

人目を恐れる一方で、自分がどこまで頑張れるか試したい、と思った大木さんは、大手自動車メーカーの入社試験に挑戦します。その面接試験を、こう振り返ります。

「次は顔のことを聞かれるんだろうな、と僕は少し身構えた。ところが、次に聞かれたことは『職業訓練校では何を習ったんですか?』ということだった。結局、顔のことは一つも聞かれなかった。

ああ、そうか。顔の形がどうであろうと、仕事ができないわけじゃないんだよな。だから顔のことは聞かれなかったのか。

そんな当たり前のことに気づいたとき、僕は肩の力が抜けて、少し気が楽になったような気がした。同時に、僕の外見ではなく”中身”を見ようとしてくれる人がいたことが、本当に嬉しかった」

入社17年目を迎える大木さん、現在は燃料電池の性能試験に携わっているそうです。
「街に出たとき、誰もが僕を振り返らない社会になったらいい、という願いはある。その反面で、社会はすぐに変わらないというあきらめもある。気持ちは揺れ動いているが、一つだけはっきり言えることがある。それは、僕は今以上にもっともっと社会に出て行きたい、と思っていることだ。

この本に出ようと思った理由も、自分の気持ちを表に出すことで、殻に閉じこもりがちな自分を外に押し出すきっかけになるかもしれない、という期待からだ。自分が変われば、社会が僕に向ける見方も変わるかもしれない。ほんのわずかであっても、僕はその可能性にかけてみようと思っている」

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