著者の Andrew Weil 氏は、1942年 ペンシルベニア州・フィラデルフィア生まれ。
植物学の学位を取得した後、ハーバード大学医学校を卒業。薬用植物の世界的権威とされる。
「抗医学」の限界を感じて…
ワイル博士は、医学校一年生の時点で医学教育に失望。
人間に本来備わっている「自然治癒力」を引き出す統合医療をめざし、独自の道を歩み始めます。
その心情を以下のように語ります。
「医師の第一のつとめは、そもそも病気にならないような方法を、人々に教えることだと、わたしは信じていた。
『ドクター』の語源が、ラテン語で『教師』を意味することからも、予防教育が最善のつとめであり、なってしまった病気の治癒は次善の仕事なのだ。
また、現代医学の抑圧的な傾向も、私は憂えている。
薬剤のカテゴリーをみれば、その多くが「抗 anti-」という接頭語で始まっているのがわかる。
たとえば、皮膚のかゆみや発疹など体表に現れる症状は、皮膚から病気が外に出ていく兆候なのに、抑圧的な治療法は、病気のプロセスを内部に押しやり、重要臓器にまで追いつめてしまう」
「研修医としての生活は私に、人体に対して侵襲的なテクノロジー医学の世界から逃れて、ロマンティックな自然治癒の理想に向かって旅立ちたいという欲求を生じさせた」との思いに駆られた博士は、シャーマン (祈祷師)を探し訪ねる「巡礼の旅」へと、南米に旅立ちます。
オステオパシー医師との出会い
しかし、期待した成果を得ることなく、失意のうちに帰国した博士。当時をこう振り返ります。
「巡礼の旅から学んだことは、自分が答えのあり場所を間違えていたこと。
治癒力の原点を見つけるのに、生まれ育った土地や文化、受けた教育、自己の内部に背を向ける必要はなかった。
そのことを知るために、わたしは何年もの時を彷徨に費やさねばならなかった。
つまり、答えは『わが家の裏庭』」にあったのだ」
「裏庭」というのは、「寡黙な老医師」ロバート・フルフォード(1905 – 1997) との出会い。
フルフォード医師は、たぐいまれな手技を持つ「オステオパシー」医師。
オステオパシーは、ギリシア語のオステオン(Osteon=骨)とパソス(Pathos=病理、治療)が語源で、日本では整骨療法と呼ばれたこともありますが、骨だけではなく、からだのあらゆる組織の調整をします。
その原理は「からだは、全体で一つのものとして機能しているユニット」という考え。
たとえば、「膝の痛みを訴える患者に対して、他律的に膝に問題があると結論し、膝の治療にかかるようなことを、フルフォード医師はしなかった」と、ワイル博士は観察します。
「フルフォード医師は、ひざが足関節・股関節の両関節に対する補正関節であることを知っている。
もし古い外傷によって足関節の運動に制限がきているとすれば、足関節は重力と運動に対する正常な反応ができずに、力のひずみを下肢の上方に伝達する。
膝関節は骨盤を正常な位置に保とうとして、そのひずみを補正する。
補正しようとする力の酷使が、ひざの痛みとして経験されることがある。
もし何らかの理由によって、膝が固定されれば、足関節からくるひずみは股関節にまでいたり、腰痛の原因となりうる。
膠着した足関節が原因で生じている問題のために、どれほど多くのひざ・腰の手術が行われていることか。
足腰をゆるめることによって、慢性の膝痛や腰痛を治したケースを、わたしは何度も目撃した。
フルフォード医師は、彼のいう『拘束』が筋膜にも生じると考えている。
筋膜とは筋肉を包みこみ、体内の空間を分割している強靭な結合組織のことだ。
解剖学者は筋膜が筋肉ごとに分離独立した膜だと教えているが、博士は全身の筋膜が複雑きわまる形態をした一枚の大きな膜であるという前提にもとづいて仕事をしている。
その膜のどこかに拘束が生じれば、膜全体の構造にひずみが起こる。部分の変化が全体に影響を及ぼすのである」
統合機能システムとしての人体に対して、きわだった直感的な理解を示したフルフォード医師、今でいう「筋膜リリース」に、当時すでに、着目していたのですね。
以下、本文からの引用です。
治癒は内部から起こる
人には自ら治る力がそなわっている。
治癒力を活性化させることで、絶望的な病から奇跡的に生還した人は少なくない。
しかし、それらの治癒体験から単純な因果関係を引き出し、その製品や治療薬を手放しで推薦することに私は、ためらいを覚える。
ただし、医者仲間のほとんどがするように、そうした体験記をくずかごに捨てたりはしない。
それは、人間の『治る』という能力の証言として重要なものだから。
患者たちは自身の治癒体験のなかで、驚くほど多様な治療法のいずれかを讃え、うたいあげている。
薬草、食事療法、ビタミン剤、栄養補助食品、薬剤、鍼、ヨーガ、バイオフィードバック、ホメオパシー、カイロプラクティック、外科手術、祈り、マッサージ、心理療法、愛、結婚、身体運動、太陽光線、断食などなど。
その幅の広さと数の多さは、おのずからひとつの結論に導かれる。
病気は治りうる、ということだ。
リンパ系のがん、混合細胞リンパ腫と診断され、余命7年を宣告された男性が、化学療法ではなく、食事療法を選択したケースに着目してみよう。
男性は厳密なマクロビオティック療法を始め、玄米・味噌汁・豆類・野菜の煮物・海藻など、彼のいう「東洋の僧院食」を守り続けた。
肉類・乳製品・砂糖・コーヒー・アルコールはもちろん、果物・サラダ・油類・パン・栄養補助食品も禁止。
一年後、頸部リンパ節の腫れはひいた。
「化学療法を受けようとは思わなかった?」との質問に、男性はこう答えた。
「冗談でしょ。
僕は分子生物学者ですよ。
化学療法が人間にどう作用するかは知っている。
自分に毒を盛る気はしなかった。
それに昔、医学校の面接で『がんを治したい』などと答えていたことを思い出してね。『やっと、そのチャンスがきたぞ』なんて思ったわけ」
「病気の経験から学んだことは?」
「第一に、がんは素晴らしい贈り物だったということ。
がんになったおかげで、からだについて実に多くのことを学んだ。
がんを作ったのは、自分自身だったんだということに気づくと、がんはわたしの一部であり、がんも含めて、わたしは自分のすべてを愛さなければならない、ということがわかってきた。
からだに対する食べ物の影響にもすごく敏感になった。
いまでは、へんなものを食べると、30分以内に気分が変わるのがわかる。
それに、がんが治るプロセスに関して、とてもおもしろいことを発見した。
指の発疹と首の腫れはつながっていたんだ。
なにかが皮膚から排泄されていた。
病気の奥のほうの勢いが表面に移動してきて、からだから出ていこうとしてたみたいだね。
痛感したのは、自分の医者は自分自身であり、自分で治さなくちゃいけないってことだね」
彼の変化は心理的・霊的変容であり、真の自己受容なのだ。
ほとんどの人は、受容の姿勢で人生を送ろうとはしない。
意志に負担をかけることで、出来事を自分の都合にあわせ、状況を支配しようとして、たえず対決の姿勢を保っている。
受容・屈服・降伏…何と呼ぼうと…、そのようなこころの転換が、治癒の扉を開けるマスターキーなのかもしれない。
治癒のプロセス
大学新聞の編集をしていた時、河川の専門家に取材したことがある。
河川は生き物と同じで、自己の健康を維持するための多彩なメカニズムを持っている、と彼は言った。
川に汚物を捨てても、川にはそれを解毒し、自身の健康を保つ能力がある。
だからといって、いつまでも汚物を捨て続ければ、ある時点で臨界レベルを越え、天然の浄化メカニズムは許容量オーバーで故障を起こす。
植物も有用微生物も死に絶え、流れのパターンが変わり、川は病気になる。
専門家の話を残らず書き取ろうとペンを走らせながら、わたしはこれから書く記事のことを考えていた。
ところが、次の話を聞いて、わたしの手が止まった。
絶望的に汚染された河川でも、望みがないわけではない、と彼が言ったのだ。
汚染源物質の投棄さえやめさえすれば、自然治癒能力が復活し、川がみずからを清浄にしていくというのだ。
人間の動脈系に、川と同じはたらきができない理由があるだろうか?
事実、いまではアテローム性動脈硬化か可逆的であるということは、明確に立証されている。
ただし、硬化の原因となるような物質 (おもに飽和脂肪) の摂取をやめ、治癒系の邪魔になるようなこころの使い方 (たとえば怒りの感情) をやめさえすれば、である。
タリウム・スキャンなどの精密な心臓灌流検査機器を使えば、ライフスタイルを変え始めて1カ月以内に、一部の患者ではあるが、冠動脈の血液量が増え始めることが測定できる。
けがの治癒における、細胞・組織レベルでのプロセスも驚異的だ。
傷口へ最初に駆けつける免疫細胞は、からだの防衛力の「歩兵」といわれる、白血球の好中球。
すぐそのあとにくるマクロファージ (大食漢) は、細胞の残骸を大量に包み込み消化してしまう。
この免疫活動を合図にして、傷口表面の上皮細胞による、細胞の増殖が始まる。
単純骨折の修復における治癒システムの働きは、あまりにも見事だ。
骨折の直後に起こる、治癒の第一ステップでは、血液が凝固した血餅が、骨の断裂部分の空洞を埋め、周囲を固めて、線維芽細胞や新しい血管の成長を可能にする、ゆるやかな骨組みをつくる。
器質化した血餅は、軟性仮骨という組織のかたまりとなる。
治癒系のはたらきはそこから、創傷の治癒とは別の方向に向かって進む。骨折から一週間ほどで、軟性仮骨の中に新しい軟骨と骨が出現し始めるのだ。
軟性仮骨は次第に大きくなり、巧妙に副木の役割を果たすようになる。そして徐々に強度を増して丈夫な骨が出来上がっていく。
この骨の形成にも、拮抗する力が関係している。
骨芽細胞は骨を作り、破骨細胞は骨を破壊するが、反対方向に働く力の変動を指示しているのは、筋肉と、骨にかかった重力に耐えようとするストレスである。
治癒のプロセスが始まるときに、骨折部分が正しく固定されていれば、再建はほとんど完全に行われる細胞レベルでの、骨の治癒の詳細が解明されている。
骨折時には微弱な電流が発生し、それが骨折端の細胞に脱分化を起こさせるのだ。脱分化とは、成熟細胞から、成長と再生能力に富んだ幼若細胞に先祖返りすること。
幼若細胞は成熟細胞が失った能力を回復するのだ。
これは、切断されたサンショウウオの四肢が再生するプロセスと同じである。
理論的には、人間も同じ能力を持っていると分析する科学者もいる。
つまり、回路も装置もすべてそろっている、問題はただ、そのプロセスを活動させるスイッチの入れ方が発見できるかどうかだ、というのだ。
悲嘆の感情が癒えるとき
こころの領域における治癒系の作用に目を通しておくことなしに、治癒系に関する議論を終えるわけにはいかない。
対象喪失から生じる悲嘆の感情は、喪失を受け入れ、環境の変化のなかで、あらたな感情的平衡が得られるようになるためのプロセスである。
悲しむことそれ自体が治癒の変種であり、治癒系の作用なのだ。
しばしば最初に現れるのは、ショックと拒絶である。
『拒絶』は天然の麻酔薬であり、世間では評判が悪い (もちろん、いつまでも続けば不健康だ) が、悲嘆の衝撃が破滅的であるような場合、生命機能の基本的レベルを維持するための一過性のメカニズムとしては便利なものでもあるのだ。
次に「怒り」がやってきて、やがて「願望幻想」 (わたしがもっとましな人間だったら、こんなことは起こらなかった) にとってかわられ、続いて「抑うつ」 (ダメだ、やっていけない) がやってくることが多い。
抑うつは病気のように見えるが、実際には悲嘆のプロセスの進んだ段階である。
なぜなら抑うつは、無意識のうちに喪失を受容し、死んだものを生き返らせるという幻想を手放したことをあらわしているからだ。
その受容が意識化されたときに悲しみは終わり、喪失経験をわがものとして (それを人生の新たな局面を切り開く、天与の贈り物として感じる場合さえある) 、感情はふたたび平静にもどるのである。
また、感情が体に、もっと直接的に影響する例もある。
神経伝達物質の多くを受ける受容体が、消化管と脳の、特に感情にかかわる部分に密集していることが突き止められている。
腸 (ガット) における、多幸感をもたらすエンドルフィン受容体について、特にその傾向が顕著である。よくいわれる「ガット・フィーリングス」 (腹の底からくる感じ) には、生化学的に深い意味があったのだ。
腸は感情の座でもあるのだろう。
腸の内部で進行していることは、脳中枢の奥に影響を与え、その逆もまた真なのかもしれい。
そして、受容体は免疫系の細胞にも存在する。ということは、われわれの抵抗力もまた、神経系と内分泌系とを結ぶ網の目の一部かもしれず、感染への抵抗力が宿主のこころの状態によって変化するメカニズムを示唆しているともいえそうだ。
治癒が起こりゆすい食生活
1. 飽和脂肪の摂取を止める。
つまり、獣肉、全乳、全乳製品 (バター、チーズ、クリームなど)、熱帯産油 (ヤシ油、ココナツ油) など。
脂肪酸は炭素原子と水素原子が結合した連鎖であるが、炭素原子の結合部が、すべて水素原子によって満たされているものが「飽和脂肪酸」
二つ以上の結合部が空いた状態が「多不飽和脂肪酸」
一つしか空いていない状態が「単不飽和脂肪酸」
2. 多不飽和植物油を食卓から追放する。
サフラワー油、ヒマワリ油、コーン油、大豆油、ゴマ油などは化学的に不安定であり、酸素と反応しやすく、毒性成分となる。
3. 食卓にはもっぱらオリーブオイルを使う。
単不飽和植物油には、カノーラ油、ピーナッツ油などがあるが、からだになじみやすいオレイン酸を含んだ「オリーブ油」がいちばん良質で安全。
4. オメガ3脂肪酸の摂取を増やす
青身の魚に含まれているが、魚を食べないという人は、麻仁油か亜麻仁油を使うとよい。
麻仁油は薄緑色の木の実の香りがする油で、オリーブ油と混ぜるとサラダドレッシングに最適。
亜麻仁油は新鮮なうちは甘い木の香りがするが劣化が早いので、全粒亜麻仁を買ってきて冷蔵庫に保管しておき、コーヒーミルやブレンダーで挽いて使うとよい。サラダにかけたり、パンやクッキーに加えることでオメガ3脂肪酸がとれる。
5. タンパク食を減らす
体組織の合成や組織の修復に必要な量以上のタンパク質を食べると、あまった分はエネルギー源、つまり燃料として使われることになるが、タンパク質の分子は巨大で複雑な形をしているため、消化器系に過重な負担がかかる。
炭水化物や脂肪に比べて、仕事量に対するエネルギー生産の低い、効率の悪い燃料なのだ。
燃料としてのタンパク質には、もう一つ問題がある。燃料がクリーンではないということ。
炭素・水素・酸素だけでできている炭水化物と脂質は、燃焼すると二酸化炭素と水になる。
ところがタンパク質に含まれている窒素は、代謝の過程で毒性が強い窒素残留物を作り出す。
残留物の処理を担うことになる肝臓は、それを尿素という、これまた毒性の強い化合物に変える。
すると今度は、尿素を排除する仕事を腎臓が担わなければならない。
6. 動物性タンパクをやめ、魚と大豆タンパクに変える。
大豆などの種子類やナッツ類は植物性タンパクだが、多不飽和脂肪酸の含有量も多い。
したがって、大豆からタンパク質だけを取り出した製品がよい。豆腐やテンペ (インドネシアの大豆発酵食品) など。
7. 果物と野菜を丸ごと食べる
実に多くの人々が、果物と野菜を食べるよろこびを知らないまま、人生を送っている。
市販の野菜や果物のほとんどが、香味よりも外見と輸送の効率を重視してつくられ、食べごろよりずっと早く収穫され、輸送の途中で傷んでいるからだ。
ところで、還元主義…全体の特性は、全体を構成する各要素の作用に還元できるとする信念…は、西洋の科学と医学に共通する性癖だ。
興味深い効果のある植物を発見すると、「主要有効成分」を抽出して患者に与えたがるのだ。
科学者たちは、ブロッコリーには、解毒力や抗酸化作用を持つファイトケミカルの一種「スルフォラファン」が含まれることを発見した。
では、健康食品店にカプセル剤が並ぶ日まで待つべきか、それともブロッコリーを食べるべきか。
答えは言うまでもないだろう。
部分の集合は全体に等しくないのだ。
ブロッコリーが嫌いな人のために、いくらでも食べられる料理法を紹介しよう。
- ブロッコリーひと房の、茎の固い部分の皮をむき、食べやすい大きさに切って水洗いする。
- 水1/4カップ、バージンエクストラオリーブ油大さじ1、塩少々、刻みニンニク4~5片とともに鍋にいれ、蓋をして煮立たせる。
- ブロッコリーの緑色が鮮やかさを増して、固めの歯ざわりになったところで蓋をとる。
- そのまま残りの湯を蒸発させる。
有害物質から身を守る
治癒系にとって大きな脅威の一つが、現代の環境にひそむ、ありとあらゆる有害物質からくる毒性にさらされることだ。
上記の食物をたくさん食べて腸の調子をととのえ、呼吸器系を正しく使い、エアロビックな運動をしたり、 (サウナやスチームバスなどで) 熱を浴びたりして汗をかく必要がある。
また、樹木には驚くほどの空気浄化能力があり、大都会の真ん中でもそれを感じることができる。
わたしはたびたび日本を訪れるが、東京で数日を過ごすときは、明治神宮を避難場所に決めている。
聖なる空間と俗世とを隔てる大きな鳥居をくぐって、何歩か歩いただけで空気が変わるのがわかる。
食物について、リンゴはもっとも汚染度の高い食品である。
次に汚染度が高いのは、桃・ぶどう (ぶどうで作ったレーズンやワインも) ・オレンジ・いちごだ。
野菜と穀物ではジャガイモ・ニンジン・レタス・グリーンピース・ピーナッツ・小麦などが危ない。
少なくとも、以上のものは有機無農薬のものを探すように強く忠告したい。
アルコールは肝臓と神経細胞に直接害をあたえ、上部消化管に強い刺激を与える。
しかし、気分をリラックスさせ、心臓血管系を強化させ、HDL (善玉) コレステロールの産生を助けるという利点もある。
両面性があるのだ。
「からだにいい種類の紫外線」などという惹句を信じて日焼けサロンに行くなどもってのほか。
紫外線はすべて有害であり、皮膚を損傷するだけでなく、年配者の視力障害の二大要因である白内障と網膜黄斑変性の原因になる。
治癒力を高めるくすり
西洋医学の医師たちが特に好むのは、すぐれて特異的な効果を発揮する治療薬 (「魔法の弾丸」) である。
ある薬が異なった多くの症状に効くということがわかると、彼らはそれに興味を失ってしまう。
特異性がないということは、背後で働くメカニズムが不明だと考えるからだ。
言い換えれば「その薬は、プラシーボ効果にすぎない」
プラシーボ効果とは、偽薬を、何らかの効果のある薬だと信じ込ませることで、症状の改善がみられることを指す。
中国の伝統医学では、薬 (その大半は生薬の混合剤だが) は「上薬」「中薬」「下薬」の三つに分類されている。
「下薬」とは特定の症状にだけ特異的に効く薬、つまり西洋医学が理想とする魔法の弾丸のことである。
「中薬」は身体機能を強める、下薬よりも適応範囲の広い薬である。
そして「上薬」は、あらゆる症状に効く強壮剤万能薬。チョウセンニンジンがいい例だ。
そのラテン名「パナクス」は、「すべてを治す」を意味する「パナシーア (万能薬) 」と語源を同じくする。
中国医学では、上薬の効能はからだの防御機能を刺激して、あらゆる侵襲に対する抵抗力を高めるところにある。
以下に、治癒系の効率的な作動に不可欠な、免疫力や抵抗力を高める天然物質を紹介しよう。
1. ニンニク
もっとも劇的な効果として、心臓血管系に対する効果があげられる。
血圧を下げる作用に加えて、血中のコレステローや中性脂肪 (トリグリセルド) を低下させ、善玉コレステロール (HDL) を増加させ、悪玉コレステロール (LDL) の増加を防ぐ効果がある。
また、血小板の凝集傾向を妨げて、血液が凝固する傾向を低下させる効果もある。
ニンニクなしの人生など考えられないわたしは、それが治癒系のための最良のトニック剤だと信じてやまない。
2. ショウガ
中国やインドの医師たちは、太古からショウガを「上薬」と認め、強壮効果と精神の高揚効果をねらう配合剤に加えていた。
いまでも世界各地で多くの人々が、からだを温め、消化を刺激し、胃のむかつきを抑え、痛みを緩和するくすりとしてショウガを珍重している。
簡単でおいしいのはジンジャーティー。
すりおろした生ショウガ1杯半を、熱湯が入ったカップに入れて蓋をする。10~15分たったら濾して、蜂蜜を加えて飲む。
3. 緑茶
利点の中心的存在を果たすカテキンには、コレステロール値を下げ、脂質の代謝をよくする働き、抗がん作用・抗菌作用もある。
4. ノゲシ
種子のエキスであるシリマリンには、肝細胞の代謝を促進させ、肝臓を有害物質の損傷から守るはたらきがある。健康食品店で錠剤が手に入る。
5. 黄耆 (おうぎ・アストラガルス)
中国の伝統医療では、真のトニック剤と考えられている。
現代医学の治療を受けているがん患者にもすすめている。健康食品店で錠剤が手に入る。
6. エゾウコギ (五加根・シベリアチョウセンニンジン)
ロシア人科学者が、チョウセンニンジンの代用物を探しているうちに発見した強壮剤。
旧ソ連のスポーツマンや軍人たちが体力増強のために使用したという。
健康食品店で錠剤が手に入る。
7. チョウセンニンジン
中国人と韓国人のあいだでは、老人の強壮剤として珍重されている。
「若者にはチョウセンニンジンはもったいない。年をとるまでとっておいたほうがいい。年をとれば、そのありがたみがよくわかる」と中国の老人が語っている。
エストロゲン (発情を促す女性ホルモン) 的作用があるため、子宮筋腫・乳腺症・乳がんといったエストロゲン依存性疾患の女性にはむかない。
8. 当帰
中国の伝統医学で、増血作用と循環促進作用のある強壮剤として知られる。
わたしは、月経不順や更年期障害の女性に処方している。
健康食品店で錠剤が手に入る。
希少種ではないので安価。
9. 何首烏 (かしゅう)
通称「ホーさんに黒髪が生える」
男性の精子増産、女性の受胎能力増強に効くと、ひろく信じられている。
10. マイタケ
抗がん作用と免疫強化作用は、これまで研究されてきたいかなる薬用キノコのそれよりも強力。
化学療法と組み合わせて使えば、薬剤の投与量を減らすことができる。
80年代の初め、日本の科学者がマイタケをおがくずで栽培する方法を発見した。
アメリカのスーパーマーケットに、栽培マイタケが並ぶのは遠い日ではないだろうが、それまでは健康食品店で錠剤を買うしかない。
11. 冬虫夏草
これはマイタケよりもさらに奇妙なキノコである。
樹木からではなく、ある種の昆虫の幼虫から生える。
このエキゾチックな生薬が世界の注目を浴びるようになった契機は、1993年の中国全国体育競技大会にあった。
女子陸上選手団が、次々と世界記録を破ったのだ。
ステロイド使用の疑惑が取り沙汰されたが、コーチが中国製の生薬の箱を手にかざし、チームの力が伸びたのはこの薬のおかげである、と力説したのだ。その生薬の主成分が冬虫夏草だった。
活動と休息
歩行は複雑な行動であり、歩行のためには感覚経験と運動経験との高度な機能的統合が要求される。
四肢の交差運動が脳に発生させる電気的活動は、中枢神経全体に調和的な影響をあたえ、歩行運動特有の利点になる。
運動に対するアドバイスとコメントは短く、ひとことですまそう。
歩け。
それだけだ。
いのちと力の源、呼吸
呼吸は生まれたときから備わっている運動とリズムであり、いのちと活力の源である。
「スピリット」と「呼吸」が同じことばで表わされる言語は数多くある。
サンスクリット語は「プラーナ」、ギリシャ語は「プラウマ」、ヘブライ語は「ルーアッハ」、ラテン語は「スピリトゥス」
宇宙のあらゆる側面には、膨張と収縮のリズミックなパターンがみられる。夜と昼、覚醒と睡眠、満ち潮と引き潮、盛夏と厳冬。
現実を構成するすべてのレベルに、ふたつの局面のあいだを往復するゆらぎがある。
もし呼吸が、からだの中のスピリットの運動であるとすれば、呼吸にはたらきかけることは、精神性・霊性のトレーニングになる。
呼吸のリズムと深さを意識的にコントロールすることができれば、心拍数・血圧・血液循環・消化を調節する方法を学んだことになる。
呼吸の訓練法を以下に示す。
1. まず呼気から
呼吸のサイクルが呼気で始まると意識して、呼吸を観察する。吸気のことは考えない。
息を吐くたびに「宇宙がわたしから息を吸い込んでいる」、息を吸うたびに「宇宙がわたしの中に息を吹き込んでいる」とイメージする。宇宙が息を吹き込むたびに、その息がからだ全体に、指先やつま先にまで浸透していくのを感じ、味わう。
2. プラーナヤーマ ふいごの呼吸
- 舌をヨーガの定位置に、つまり、前歯のつけ根のくぼみ (歯槽隆線) におさめる。舌はずっとその位置にとどめる。そうすることで、からだのエネルギー回路が閉ざされ、プラーナが四散するのを防げるという。
- 大きく息を吸って、口を軽く閉じたまま、鼻から息を勢いよく吐き出す。
- 呼気と吸気は、同じ長さで短く行う。
- 首の付け根 (鎖骨上部) の筋肉と横隔膜が緊張と弛緩を繰り返すのがわかる。
- 呼気も吸気も、呼吸音が聞こえるほど勢いよく。
- 無理がなければ、1秒間に3呼吸の早さで行う。1分続けられるようになるまで練習する。
- 普通の呼吸にもどったときに、微妙だがたしかなエネルギーの動きが、からだを駆け巡るのを感じるだろう。
3. くつろぐ呼吸
- 「ふいごの呼吸」と同じく、舌は「ヨーガの位置」におさめる。
- 思い切り口から、音が聞こえるくらい、息を吐ききる。舌がヨーガの位置でやりにくかったら、唇をすぼめるといい。
- 口を閉じて、鼻から静かに息を吸いながら、こころの中で四つ数える。
- 息を止めたまま、七つ数える。
- ため息のような音をたてながら、八つ数える間に口から息を吐く。
- これを四回繰り返す。
- 速さは重要ではない。重要なのは吸気・保持・呼気の 四・七・八 の比率。
霊性としての強い絆
ふいごの呼吸のあと、からだに感じるエネルギーは、中国医学の医師たちが「気」と呼んでいる、宇宙に偏在する生命エネルギーである。
この微細なエネルギーを感知し、人に送り、また受けるのは有益なことだ。
たんに痛みをやわらげ、治癒を促す力がそこにあるからだけではなく、それが意識を物質界の極から、精神世界の極へと転換させてくれるからなのだ。
自己をエネルギーとして経験できるようになればなるほど、それだけ自己を肉体と同一化しないことが容易になる。
先達たちは、霊的なエネルギーを高めること、精神の波動の周波数を高めることは可能だと教えている。
そのための方法のひとつは、自己を霊的・精神的エネルギーが高い人やもののそばに置くことである。
世界中で、何百万人という人が聖地に巡礼し、高揚感を味わい、元気を取り戻し、蘇生している。
その巡礼の群れに加わってもいいし、そこへ行けば気分がよくなり、思考がより高い目的に向けられ、自我から解放されるような、自分だけの場所を見つけてもいい。
自分が友人や知人の存在に対してどう感じているかに注意を向けることも大切だ。
ある人に会うと、ほかの人に会ったときよりも幸福を感じ、自分がよりよく、肯定的になったような気がすることはないだろうか。
われわれの霊的・精神的な自己は、互いに共鳴しあう。
その相互作用が肯定的なものであれば、人と人との結び付きがもっとも強い癒しの力となり、物質界でのさまざまな有害な影響を中和する力となる。
こころと霊性のはたらき
1. 信念
ずいぶん前のことだが、わたしはどんなクローバー群落でも、必ず四つ葉のクローバーを見つける女性に会ったことがある。
彼女を見ているうちに、わたしのなかの何かが変わった。
どんなクローバー群落地にも最低1本の四つ葉のクローバーがあり、見つけられるのを待っているという信念が、彼女の成功の鍵であることに気がついたのだ。
そう信じることで、見つけるチャンスが生まれる。信じなければチャンスはない。
自発的治癒は四つ葉のクローバーのようなものだ。それが起こることを信じなければ、それを経験するチャンスは少なくなる。
わたしの興味のひとつは、治癒への信念を深めるために、人は何をできかということにある。
わたしがおすすめするのは、治癒の経験をした人を探し出して、その人のリアリティを自分のリアリティにしてしまうという戦略だ。
四つ葉のクローバーの存在が当たり前のことと思う人に出会うまで、わたしの現実感のなかに、四つ葉のクローバーは存在していなかったのだ。
2. 思考
思考はわれわれを「いま、ここ」から、過去へ、未来へ、幻想へ…つまり非現実の領域へと連れ出してしまう。
思考は日常生活においても、不安・罪悪感・恐れ・悲しみなど、間違いなく苦悩の原因となる感情の源泉なのである。
きわめて高度なトレーニングを積まない限り、思考を止めることは不可能だが、思考から注意をそらすことなら可能である。
からだの感覚に注意を集中するのも、そのひとつの方法である。
からだがあるというのは、とてもありがたいことなのだ。
なぜなら、こころが過去や未来にさまよっているあいだも、からだが「いま、ここ」につなぎとめてくれるからだ。
からだの感覚に注意を向けているかぎり、注意は現在のリアリティにとどめられる。
眠る前のリラクゼーション法に、全身の筋肉に緊張と弛緩を繰り返すというのがあるが、その理由は、こころが騒いでいるとき、注意を思考からそらして、「いま、ここ」にとどめるところにある。
注意を集中するもうひとつの対象は呼吸。
考えの堂々巡りから抜け出せなくなったら、それを止めようとするのではなく、ただ注意を呼吸に向けることだけに集中する。
思考から注意をそらすという方法のほかに、雑念に対処するもう一つの戦略がある。
注意を反対方向に向けるというやり方だ。
たとえば、がんになる恐怖という思いに囚われてしまったら、ブロッコリーを食べるとき、緑茶を飲むとき、これががんへの防衛力を高めてくれると考えるのである。
対立する二つの思考は、鏡像効果で騒音を消すテクノロジー機器のように、たがいに消し合ってゼロになることもある。
3. イメージ
脳の後頭部にあたる部分は、眼球の網膜からくる情報の処理に追われているのが普通だか、その仕事から解放されて情報処理の対象を内部に向けたとき、からだとこころの交流のための、もっとも重要なチャンネルが開かれることになる。
小学校の教師が、白昼夢にふけってばかりいる「最低」の生徒についてアドバイスを求めてきたことがある。
「わたしがあんまり厳しく注意すると、その子は熱を出して、保健室に連れていかなければならなくなります」
その最低の子どもが、じつは自分で自分の体温をコントロールし、意識的に熱を出すことができる特別な子どもであることに、教師は気づいていなかった。
鮮明な白昼夢と体温の随意コントロールとが一つにつながっていると考えたわたしは、その生徒を「最低」ではなく「最高の」能力者と呼んでみてはどうかと提案した。
大脳の視覚野は目からくる情報の処理に追われなくなると、こころと意思を結び付け、自律神経系をコントロールする力を発揮する。
それはまた、自発的治癒を誘発する力にもなりうる。
視覚イメージにはしばしば性的な幻想が現れるが、これもまた自律神経系に通じる強力なチャンネルである。
性的な幻想にはイメージの相互作用、高まった感情、身体的反応などが含まれている。
こころのからだに対する影響力の大きさを信じない人は、性的幻想にふけっているときの自分のからだの変化に注目していただきたい。
もしそのプロセスを随意的にコントロールして、同じ感情の高まりを治癒のイメージに向けることができたら、きっと治癒系を活性化させ、遺伝子のなかに隠されている再生能力にアクセスすることができるようになるだろう。
イメージ療法の優れたセラピストは、クライアントが描くことができそうなイメージを幅広く探り、いちばん強い感情的反応が誘発できるものを見つけることができる。
あるセラピストは、左手に大きなイボのあるクライアントが診察に訪れたとき、彼が蒸気ショベルに魅せられていることに気がついた。彼は子どものころから、大量の土を動かす大型機械を見るとワクワクしていたというのである。
セラピストは彼に、毎日、朝と晩、蒸気ショベルがイボをかき落とすイメージをありありと思い浮かべるように指示した。1週間で効果が現れ始めた。
より意識的な、目的を持った白昼夢を見ることによって、また、イメージを喚起しやすい感情的な反応に注意を払うことによって、イメージの力をからだに及ぼす訓練ができる。
4. 感情
いまやわれわれの文化の疫病ともいえる「抑うつ」であるが、非常に強い潜在的エネルギーが抑え込まれ、内部に向けられている状態だと思われる。もし、そのエネルギーにアクセスし、動かすことができたら、それ自体が自発的治癒の触媒になりうる。
精神科医は抑うつを、ほとんど例外なく薬物によって、それも「ブロザック」錠に代表されるような、セロトニン再摂取抑制薬といわれる抗うつ剤によって治療している。
製薬会社はそうした新薬を強引に販売し、その販売戦略はみごとに成功している。
ブロザックのたぐいを飲んでいる人はよく、抑うつ状態も含めて、すべてのことに強さや激しさを感じなくなるという。
感情の激しさを抑え込んでしまう薬の濫用は考えものである。感情の激しさは治癒系賦活の鍵だからだ。
それに、喜びを感じる容量は、絶望を感じる容量と同じであり、抑うつ状態にある人は、いつも平衡状態を保っている人や、プロザックを服用している人よりも、エクスタシーを経験する能力が高いはずのだ。
落ち込みに対処する方法のひとつに、あえて実際とは逆の感情を装うというやり方がある。
「熱情があるかのように振る舞え。やがてその感情が本物になってくる。」
病気になったとき、健康を回復するためにはどうすべきか。
治療は外からほどこされ、治癒は内から起こってくる。
だからといって、治療を拒否して治癒を待つのは愚かな態度かもしれない。
判断を誤らないためには、自分の病気の実態をよく理解し、自発的治癒が起こる可能性を損なわずに治療できる方法が、現代医学にあるかどうかを知る必要がある。
また、代替療法で有効なものがあるかどうかも知る必要がある。
それを知るためには、現代医学はなにが得意で、何を苦手としているのかを調べるのが早道だ。
たとえば現代医学は、外傷の治療に非常に有効である。
もし私が交通事故で重傷を負ったら、迷わずに現代医学の救命救急センターに駆け込み、シャーマンや鍼灸師のところにはいかないだろう。
現代医学はまた、診断と、あらゆる危機の対処に優れている。
出血・心発症・心臓麻痺・肺水腫・急性うっ血性心不全・急性細菌感染・糖尿病性昏睡・急性腸閉塞・急性虫垂炎・損傷した股関節や膝関節の復元などは現代医学にかぎる。
ただし、現代医学の優れた診断能力を利用することと、そのまま現代医学の治療を受けることは別問題。
治療法が症状を抑えるだけで害作用が考えられる、あるいは打つ手がない場合、現代医学に代わる治療法を探すのが正しい態度である。
また、診断だけ受けに行ったときでも、現代医学の医師と話をする場合、治癒に対する彼らのペシミズムにはじゅうぶんな警戒が必要である。
現代医学が得意とする病気で代替医療の治療家を頼るべからず、現代医学に治せない病気を、現代医学の医師に診せるべからず。
「現代医学にできないこと」とは、ほとんどの慢性・消耗性疾患の治療、大部分の精神疾患の効果的な対処、大半のアレルギー疾患・自己免疫疾患の治療、心身相関疾患の効果的な対処、がんの多くの治療。
無数の神経端末が分布している皮膚は、消化器とともに、ストレス関連の障害がもっともよくあらわれやすい場所である。
この関連を無視している現代医学の治療法、とくにステロイドの塗布は症状を押さえつけるだけであり、潜在的に有害である。
ヒュギエイア派 の観点から言えば、アレルギー疾患に対しては、ソバや柑橘類からとれる天然物質の「ケルセチン」剤を飲むといい。
(ヒュギエイア派とは、身体全体のバランスを整えるヒーリングにより、健康の回復をめざそうとする一派。ギリシャ神話に登場する、健康を司る女神に由来する)
アレルギー反応を仲介する物質はヒスタミンだが、ケルセチンはには、ヒスタミンを放出する細胞膜を安定させる働きがある。
ショウガ科のウコンの根茎であるターメリックは抗炎症作用と、心臓血管系に保護的な効果をもたらす。
スパイスとして食べるのもいいが、その活性成分である「クルクミン」を摂る方が効果的だ。
男性のからだの弱点のひとつである前立腺には、1日30mgの亜鉛がよい。
また、男性ホルモンによる前立腺のアンバランスは、大豆食品に含まれる「フェトエストロゲン」が矯正してくれる。
特殊ケースとしての、がん
たとえ初期のがんであっても、体内にがんができていること自体、すでに治癒系の相当の機能不全をあらわしている。
ひとつの変異細胞が発見可能な大きさの腫瘍にまで成長するためには、免疫の監視をくぐり抜け、免疫による一切の介入なしに、数多くの分裂を繰り返し、無数の世代の娘細胞 (じょうさいぼう) を作らなければならない。
他のほとんどの疾患は、冠動脈疾患や多発性硬化症のような深刻な病気も含めて、治癒系のはたらきに多くを期待する理由が存在する。
しかし、かたまりが発見される時期のがんは、治癒系の機能不全が固定的なパターンになってしまっていることをあらわしている。
がんに対する現代医学の三大療法、すなわち外科手術・放射線療法・化学療法のうち、納得できるものは外科手術だけである。
一般的にいえば、からだの一部に向けられた放射線療法のほうが、全身に影響する化学療法よりは安全だが、それでも放射線は深い傷を残し、将来、その器官の機能を阻害する可能性は否定できない。
現代医学の治療を受けるかどうかの決定に直面しているとき、答えるべき問いは「がんに与える損傷は、免疫系に与える損傷を補って余りあるか ?」ということ。
結論的にいえば、がん治癒の見込みは、免疫反応の回復への見込みと同等である。
免疫系こそが悪性組織を認証し、除去する力を持っているのだから。
がん治療の将来は、細胞毒的な武器の改良強化の果てにあるのではない。
将来は、休眠している免疫系を活動させるような、免疫療法ががん治療の中心になるはずだ。
賢明な賭けを望むなら、正確な勝率を知る必要がある。
自分のタイプとステージのがんには、放射線や化学療法が統計的に無効であることが判明したら、代替療法を探すこと。
代替療法でも、その治療結果に関する統計的な情報を探ることは重要。
その治療法を受けて治った患者の名前を聞き出して、連絡をとること。
がん患者がするべきこと
食生活の改善、定期的な運動、抗酸化作用のある栄養補助食品の摂取、免疫強化作用のあるハーブ類の使用、治癒系を助けるイメージ法の習得、人間関係の修復。
がん治癒の経験者を探し出し、現代医学と代替療法の上手な組み合わせを学ぶこと。
がんの最良の対策は予防であり、その予防策は治癒系の円滑なはたらきに依存している。
細胞の悪性変異を促す環境汚染が進むにつれて、免疫力を高める方法を知ることは、ますます重要になっている。
賢い患者の選択とは…
自発的治癒に成功した患者の特徴として、見込みのありそうな治療法を探し、ちょっとしたことでも問題解決の糸口をつかもうとしたことが挙げられる。
質問し、本や新聞雑誌の記事を読み、図書館に行き、著書に手紙を書き、友人や隣人に助言を求め、可能性がありそうな治療家を訪ねてはるばる旅をする。
再生不良性貧血が治った女性は、こう語る。
『治癒への道のりは人によって違うかもしれない。でも、道は必ずあるわ。探し続けることよ』と。
こうした行動をとる患者に対して、「面倒な」というレッテル貼る医師も、いる。
一方で、成功した患者の多くは、医療の専門家と同盟を結んでいる。
真剣に答えを求める患者の努力を支持するような、専門家を味方につけることだ。
すぐれた医師は「知らない」と告白することを恥とせず、どんな方法であれ、患者が治るのを見ることを、最大の喜びとするものなのだ。
病気はしばしばわれわれを、解決したいと望みつつ、無視してきた人生上の問題や、葛藤に直面させる。
なのに、相変わらずそれらを無視し続けることは、自発的治癒が起こる可能性を封じ込めることにつながってしまう。
成功した患者は、病気になった当時とは、別人のように変わった人が多い。
治癒を探る過程で、生き方を大きく変える必要があることに気づき、楽な作業ではないけれど、それを実行した人たちなのだ。
つまり、病気は変化への強力な刺激剤でもあり、もっとも奥深くに隠れていた葛藤を解決する唯一の機会でもある。
病気を不運・不当だと考えることは、治癒系の妨げになる。
病気を成長のための贈り物だとみなせるようになったとき、ブロックがはずれ、治癒が始まるのだ。
社会への処方箋
医学が病気よりも治癒に注意を向け、人間の自然治癒力を信じる医師たちが、治療よりも予防を重視しているような未来社会をイメージしてほしい。
人々は、からだにいい食事とは何かを学び、作り方を覚える。からだの要求を満たし、からだに注意を払う方法を学び、治癒を促すこころの使い方を学ぶ。
医師と患者は同じ目的に向かって努力するパートナーになり、保険会社は予防医学教育と自然療法が企業の最大の利益につながることを知り、喜んでそれらに償還することになるだろう。
そうした変革を阻害するものは何か?
医師の臨床教育は相変わらず粗暴なイニシエーション (秘伝伝授) にとどまったままで、そのことが、医学生自身健康的なライフスタイルの維持と、ヒーラーとしての精神的・霊的な開発をきわめて困難なものにしている。
医師と患者の関係が相互の不信感によって毒され、医師を訪れる患者は残らず医療訴訟の潜在的な原告とみなされ、医師はかつてないほど神経質に、現代医学の標準的な治療からの逸脱を恐れている。
研究基金を分配する立場にある人々が、治癒及び代替医学に関心がないため、その分野の科学的研究が遅れている。
現代医学のモデルそのものが、ヒュギエイア派医学を指向する動きを阻害しているのだ。
こうした状況に対して、どんな対策が考えられるか
問題の根本は、医学教育にある。
ニュートンの機械論・デカルトの二元論という旧弊な科学概念に代わって、量子物理学に基づく新しい科学思想の基礎的な教育を立案する。
そして、試験の合格を目的とした知識の暗記量を減らし、自然治癒や心身の相関関係、精神性・霊性を含めた、世界のさまざまな医療体系の基本的構造に関して教育を施すのだ。
理解する方法さえ身につければ、詳細な情報をコンピューターで検索できる現在、学生たちは必要な知識は自分で調べられる。
医学教育の改革のほかに、もう一つ。国立衛生研究所のなかに「治癒研究所」を設置することだ。
そのような社会になったら、救命救急施設を除いて、病院は治療の場ではなく、温泉保養施設に似たものになることだろう。
ワイル博士のユニークな経歴
「訳者あとがき」で、ワイル博士は17歳のとき、交換留学生として日本にホームステイした経験があると綴られています。
多感な少年は、その留学経験から「ことばが違えば、世界のみかたが違う」と気づき、「言葉が現実観をつくるのではないか」という疑問を抱いたといいます。
そして帰国後、ハーバード大学の言語学科に入学、言語と現実観の相関関係を学びます。
それから心理学科に転入、さらに幼少の頃から好きだった植物学科に転入、こうした下地のうえに、心身相関の医学を学ぶため医学校入学を決意したそうです。
訳者は、原題の「spontaneous healing 自発的治癒」について、以下のように分析しています。
「自発的治癒という言葉には、博士の深慮遠謀が隠されている。
自然治癒と言っても本質的には同じことなのだが、現代医学が『自然』という言葉を本能的に避けていることを熟知している博士は、将来、「治癒系」の実態がさらに解明され、「治癒学」という分野が確立する時代の布石として、慎重に言葉を選んでいると思われる」